水俣病の60年 ~終わらない 戦後最大の公害病~|NHKアーカイブス

NHK総合テレビの「NHKアーカイブス」で水俣病の60年 ~終わらない戦後最大の公害病~が放送されました。水俣病は有機水銀が引き起こした中毒症状で、患者が発見された昭和31年には54人が発病。うち17人が命を落としました。原因となったのは工場の排水でした。企業も国もそれを否定し続け、実態が分からないまま被害は拡大していきました。原因が確定してからも膨大な数の被害者をどこまで救済できるのか議論が続き60年経った今も問題は解決していません。さらに生まれながらに水俣病を背負う人たちもいます。母親の体内でおかされた胎児性患者です。今も重い症状と闘っています。

 

昭和31年、熊本県水俣市で手足の震えや舌のもつれを訴える人々が相次ぎました。原因不明の奇病とお恐れられ、患者たちはいわれない差別に苦しめられました。熊本大学が調査にのりだしました。その結果、病気は水俣湾の魚介類を食べたことによる中毒症で、その原因は有機水銀だと発表されました。汚染源とされたのは市内の化学メーカー「チッソ」が海に流す廃水でした。高度成長で需要の高まるビニールの原料を生産。有機水銀が発生するおそれのあるアセトアルデヒドが含まれていました。しかし、チッソは訴えを認めませんでした。

「日本中には私どもと同じような仕事をしている同業会社その工場が十数社ございます。ただ水俣にだけ怒ったということにはなはだ私たちは疑問を持つわけです」(吉岡社長)

熊本大学は調査結果を国に報告。しかし、国もまた原因を結論づけるのは早計と判断。有効な対策をとりませんでした。町では水俣の魚を売らなくなりました。生活に困窮した漁民たちが保障を求めて工場に乱入する騒ぎに発展。患者たちも運動を起こしました。冬の厳しい寒さの中で女性も子供も1ヶ月余り座り込みを続けました。一部の患者に対してチッソが要求に応じました。契約書には「これは弔慰金であくまで会社の好意。今後、原因が廃水と分かっても一切新たな要求をしない」という条件が記されていました。

 

しかし昭和40年、新潟県でも同様の病気が発生。原因としてアセトアルデヒド工場の廃水が疑われました。昭和43年、チッソはアセトアルデヒドの製造を終了。工場排水はようやく止まりました。同じ年、国はチッソの廃水が原因と認め、水俣病を公害病と認定しました。認定を受けて昭和44年、28世帯112人の患者と家族が賠償を求めてチッソを提訴。訴えが認められ患者側が勝訴しました。しかし、原因が確定したもののその後、患者の救済が大きな課題となりました。認定を求める患者が増えたことから昭和52年、国は認定に新たな条件をもうけました。手足の感覚障害に加え、運動失調・視野狭窄・聴力障害など2つ以上の症状があることというものです。多くの患者が認定を受けられず、国などを相手どった訴訟が全国で相次ぐようになりました。

 

平成21年、認定を受けられない未認定患者の救済策として国はチッソが被害者に一時金210万円を支払うという法案を成立させました。その条件は手足だけでなく、全身の感覚障害も含むなど認定条件より対象を広げるものでした。これまでに6万5000人を超える人が申請。しかし、当時住んでいた地域などを制限したため熊本県内だけでも2000人以上が対象外となるなど課題が残りました。60年経った今も救済を求める声はやみません。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。コメントは管理人の承認後に表示されますのでしばらくお待ち下さい(スパム対策)