お墓のゆくえ~弔いの社会史~|ETV特集

NHK・Eテレの「ETV特集」でお墓のゆくえ~弔いの社会史~が放送されました。お寺は7万7000ありますが、経営を危ぶむ声は続いています。地方の過疎や葬儀・法要の簡略化の流れが止まらないからです。寺が傾けばお墓の行方が心配です。

 

毎年夏、東京都の公営墓地の抽選会が行われています。2015年は3万3562人が8つの霊園にある5300の枠に応募しました。倍率が高かったのは納骨堂でした。多磨霊園にあるみたま堂は都営墓地最大の納骨堂です。2015年は募集数50に対して1139人の応募がありました。一般の都営霊園の申し込みのルールとして遺骨を抱えている人に限られます。お墓に納骨できず自宅などに遺骨を安置している人を含みます。日本ではほぼ100%の遺体が火葬され遺骨になります。問題はそれをおさめるお墓です。墓地を持っていない人が35%を超えています。自宅安置の遺骨は関東圏で100柱を超えるとも推測されています。そんな行き場のない遺骨が動き出しました。新しいタイプの墓地が建設されているからです。キーワードは永代供養と交通の便です。

 

東京・四谷駅から徒歩5分のところにある真英寺は3年前に永代供養の墓を作りました。墓の跡継ぎがなくても寺が永遠に供養するというのです。墓の使用期限が過ぎると他の遺骨と一緒に祀られます。寺では合祀と呼び、公営墓地では合葬と言います。東京・品川にある安養院では3年前に5階建ての納骨堂をもうけました。7200機の遺骨収蔵庫が並ぶ最新の機械式納骨堂です。参拝をリードしてくれるのは物流業界で実績のある全自動システムです。50年間は寺が遺骨を管理し、その後は永代供養とします。すでに4800の墓が契約済となっています。

 

東洋大学東洋学研究所客員研究員の井上治代(いのうえはるよ)さんは30年以上、墓と社会の関係を研究しています。社会の姿が墓に投影されるという視点から多数の著作を発表してきました。

 

仏教が送葬の儀礼に広く関わってきたのは鎌倉時代からでした。それまで死者を穢れたものとして遠ざけるのが一般的でしたが、鎌倉時代に誕生した曹洞・浄土・日蓮などの新仏教は積極的に送葬を取り仕切りました。しかし、こうした葬儀は僧侶や一部の武家、貴族に限られていました。今に繋がる寺と庶民の関係は江戸時代に始まっています。檀家制度です。江戸時代、日本人は原則として全て仏教徒とされました。キリスト教を恐れる幕府は寺請制度でキリシタンでないことを証明させ檀家としました。婚姻や旅にも寺からの寺請証文が身分証明となりました。檀家と寺の強い結びつきは江戸時代の庶民を管理する重要な制度でした。寺の境内に墓が作られ、葬式や供養の一切が寺に任されました。彼岸の墓参りや法事などは檀家制度とともに成熟し今に伝わりました。

 

埼玉県熊谷にある見性院は4年前に檀家を廃止しました。橋本英樹さんは8年前に住職になりましたが、時々困った相談がありました。「家の墓には入れられない遺骨を持っている。どうしたら良いだろう」というもの。橋本住職は困った人から遺骨を引き取り保管していましたが、こうした相談が増えてきたため境内に永代供養墓を作りました。しかし、檀家は承知しません。檀家以外の遺骨を供養することに不満が出たからです。もともと檀家制度は江戸以来の古い慣習です。橋本住職は理想とする宗教活動に檀家制度が手かせ足かせとなる面を感じていました。そうかといって檀家は寺院経営の根幹です。葬儀・法事のさいのお布施、寺の増改築への協力金、墓守料など檀家からの資金は重要です。見性院は戦時中の熊谷空襲で焼け落ちましたが、檀家の献身的な協力で復興した寺です。檀家は長い間、寄り合いや仲間意識で結びついてきただけに住職からの檀家制度廃止の提案をすぐには受け入れませんでした。悩んだ末、4年前に橋本住職は檀家制度を廃止しました。檀家制度をやめた後は信徒制度としました。寺に対して信仰心があればどこからでも受け入れる体制です。300年以上続いた制度を守りたい旧檀家と改革を目指す寺との間にはしばしば話し合いが持たれています。

 

寺を支える地域の檀家の一軒一軒は、かつて沢山の家族が同居する家でした。近代国家への脱皮を目指した明治時代。その時代の礎が家でした。長男が代々継承する家。男がいなければ婿養子をむかえるのが当たり前でした。明治の民法は長男が跡を継いで家を守ると同時に、墓を守ることを説いています。明治時代は農業人口が圧倒的でした。生活の糧を得る田畑と家が近接していました。墓は代々受け継がれる家の財産でした。大正時代には墓石に家の名前を刻み込むように。私たちに馴染みの深い「○○家之墓」という墓石が一般的となり、家の繁栄と家族の絆の象徴として大切にされました。こうして今に続いたお墓の形が出来上がりました。戦後、改訂された民法の中で墓は明治と変わらず慣習に従って代々継承されるものとされていました。ところが、急激な人口移動が起こりました。急激な経済成長が引力のように地方から人を引き寄せました。昭和20年代後半から20年余りは、地方から都市へ大量に人が移動する時代でした。人口集中は都市の墓需要を喚起。土地不足、値段の高騰などからお墓の情報が広く出回るようになりました。都市への人口集中によって地方の家族は分裂。家の崩壊です。1970年までの主流は6人以上の世帯でした。これは主に3世代が同居した世帯です。次第に親子2世代の核家族が増えていきました。その核家族もやがて単独世帯にとってかわられることになります。地方では高齢化や過疎化を食い止めることが出来ず空き家は増加し、墓の継承に苦心惨憺する家も珍しくはありません。

 

少子化特有の形はシックス・ポケットと言われてます。子供に両親、その両親にまた2人の両親です。子供が小さいうちお年玉や入学祝など6人のポケットからお小遣いがはずみます。この関係が30~40年するとお爺さんお婆さんの介護の問題に始まり、両親の面倒もたった一人の子供にのしかかります。

 

お墓をすでに所有している人が新しい墓を求めたためにお墓を閉じることを「墓じまい」と言います。故郷には代々続いた墓がありますが、不便で足が遠のき管理費の支払いや檀家としてのつとめも煩わしい、子や孫にも墓参りを強要できないとなると故郷の墓をしまって便利な場所に新しい墓を求めることになります。改葬と呼ばれる墓の引越しは毎年少しずつ増えています。改葬の手続きは煩雑で費用もかかります。

 

都市化にともなう墓問題は日本だけではありません。世界共通の悩みです。韓国は伝統的に儒教に基づいた土葬が主流でした。次々とお墓が開発され、いつしかソウル市全面積の1.6倍に。これをこのまま放置はできません。韓国政府は法律で土葬を制限し、山へ遺骨を返すなどの自然葬への移行を促しています。中国での事情は同じです。墓の値段が高騰し、平均価格が庶民の年収の2倍になっているというデータがあります。人が亡くなるたびに土地が利用される慣習から抜け出す政策を模索しています。中国政府は火葬後に海へ散骨する海葬を指導しています。上海市では海葬に協力した遺族には葬儀費用の一部を補助するなどの奨励策をとっています。アメリカ・カリフォルニア州コロマ市では隣接するサンフランシスコの墓を請け負う街として開発されました。200万の墓が並んでいます。しかし、墓地はすでにほぼ満杯です。限られた場所にできるだけ大量の遺骨を収容する工夫として本棚墓が登場しています。アメリカはロケット技術を駆使した宇宙葬などの新しいメニューをすでに開発しています。ロケット技術と墓ビジネスの融合で世界をリードしています。月に遺骨をおさめる月面葬の計画も近い将来実現するはこびです。日本に代理業者をおき、すでに予約の募集が始まっています。スウェーデンのストックホルムにある森の墓地は世界遺産です。スウェーデンは産業革命により都市への人口集中が日本より100年早く起こっています。墓地不足を目の前にしてスウェーデンは都市型墓地の建設を決め、ストックホルム郊外に80ヘクタールの土地を準備しました。ここに国際コンペで世界中の知恵を集約し、選ばれたデザインをもとに作られたのが森の墓地です。墓の使用期限を25年とし、森への散骨を受け入れたことで墓地が際限なく拡大しないようにしています。広葉樹林には手を加えず、死者は森に帰るというスウェーデン人の死生観が貫かれています。遠い将来をも見据えた豊かなデザインイメージは構想から1世紀が経っても色あせません。

 

跡継ぎを前提としてきたお墓ですが世間は大きく変化していました。一人の女性が生涯に生む子供の数は1989年に1.57を記録。これは「1.57ショック」とまで騒がれました。23年前の丙午の数値を下回り、本格的な少子社会へと突入していたことに気づいたからです。同じ年、全国に先駆けて跡継ぎのいない人のための永代供養墓が作られました。新潟県の妙光寺です。地域や血縁を超えた人々が一緒のお墓に入ります。伴侶のない単身女性の活動から誕生したのが京都の志縁廟です。跡継ぎを前提としてきた墓地行政も転換を迫られていきました。横浜市の日野公園墓地に公営霊園としてはじめて合葬式納骨施設ができました。その5年後、東京都も小平霊園に合葬式墓地をもうけました。戦後に制定された墓地埋葬法では、墓地以外での遺骨の埋葬を禁じています。そのため散骨は禁じられていると思われてきました。その開かずの扉をこじ開けたのが1991年の送葬の自由を進める会の行動でした。相模湾への日本で初めての散骨をしたのです。法務省は相模湾への散骨に対して、節度を持って執り行う限りにおいて違法ではないと追認しました。法務省見解を機に散骨が日本の弔いに広がりました。その勢いは野山の樹木葬へと続いていきます。

 

海上の散骨とならんで自然の中に埋葬されるイメージが満たされる樹木葬が注目されています。都営霊園の抽選会の内、約半数が樹木葬への応募でした。桜葬墓地はNPO法人が運営する樹木葬墓地です。東京の町田市に11年前に作られました。桜をシンボルとした墓地にはすでに1927人が眠っていますが、これからも墓地の整備が進むと受け入れ窓口が広がります。桜葬墓地は墓の提供ばかりでなく、同じ墓に入る人々を墓友として様々な活動を奨励しています。墓友には人生終盤の信頼できる仲間作りが期待されています。また一人暮らしの人への安否確認、亡くなった時の遺品の整理や遺体の火葬などの活動もしています。

 

高齢単独世帯が、その弔いを含めて自治体の新たな課題となっています。横須賀市は高齢の生活保護受給者に注目しています。高齢者の約2割が生活保護です。どのような弔い方を希望するか2015年から調査を続けています。生活福祉課のロッカーには2015年、60柱の遺骨が集まってしまいました。身よりがない、あるいは弔いを親族が請け負わないといった事態には結局役所が関わることになります。

 

日本人の死者の数は年々増えていきます。弔い方も変化が激しく新しい死生観も登場しています。15年後の2030年頃から、史上最大の大量死時代がひかえています。


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