織田信長 日本でいちばん怖いパパ|歴史秘話ヒストリア

ボクが父さんを嫌いなワケ

天正2年(1574年)の正月、織田信長(おだのぶなが)は一風変わった宴を催しました。並べられていたのは信長に歯向かい滅ぼされた敵の大将の首。残虐な信長の行動に戸惑いをおぼえたのは、信長の嫡男・織田信忠(おだのぶただ)です。

 

信忠は、信長が24歳の時の子どもです。幼名は奇妙(きみょう)大変優れているという意味だそうです。幼い奇妙にとって信長は恐ろしい父でした。

 

織田信長織田信長

 

信長の妹・市(いち)は奇妙より10歳年上で、頼りになる姉のような存在だったと言います。ところが、そんな2人に突然の別れが訪れました。

 

当時、信長は隣の強国・美濃に対抗するため、西にある近江の浅井家と同盟を結びました。そして、その同盟の証として市を浅井の当主に嫁がせることにしたのです。

 

永禄10年(1567年)信長は岐阜城に拠点をうつし、天下統一への道を歩み始めました。16歳になった奇妙は初陣にのぞむことになりました。しかし、その相手は浅井家。突如、浅井家が信長との同盟を破棄し、信長に反旗を翻したのです。

 

奇妙は信長に連れられ浅井家の本拠地・小谷城に向けて出陣しました。城への総攻撃が始まりました。織田勢の圧倒的な攻撃の前に小谷城は数日で落城。市の夫・浅井長政は自害し、浅井家は滅びました。市は無事でした。夫・浅井長政に説得され、落城前に娘たちと共に脱出していたのです。

 

なぜ父さんは鬼なのか?

天正2年(1574年)7月、信長・信忠親子は新たな戦に出陣しました。向かったのは長島。長島は木曽川や長良川など大きな川が伊勢湾にそそぐ場所。ここに築かれた長島城は、いくつもの小さな島に囲まれた天然の砦でした。

 

この城に僧侶や農民など数万人が信長に対する一揆をおこして籠城。激しい戦が続いていました。

 

信長は長島周辺に船を集め8万の軍勢で完全に包囲。信忠は東から攻める軍勢を率いていました。織田勢は3ヶ月に渡って長島を囲み、立て籠もったうちの半数以上が餓死したと言います。

 

やがて、たまりかねた一揆軍は降参を申し出て城から出てきました。そこへ織田勢の銃弾が激しく降り注ぎました。信忠がためらっている間に800人ほどの敵が信忠の部隊に襲い掛かってきました。思いもよらぬ敵の襲撃で、信忠は多くの家臣を失ってしまいました。

 

激怒した信長は火攻めを強行し、一揆軍を殲滅。約2万の人々が犠牲となりました。結局、織田勢で亡くなったり傷ついたりしたのは、ほとんどが信忠に近しい人々でした。

 

天正3年5月、信忠が向かったのは織田家のライバル武田家の岩村城。信忠は無理に戦を仕掛けず、城を包囲して孤立させ敵を弱らせる作戦をとりました。岩村城の包囲は半年間に及びました。そして落城の危機に陥った城を救おうと、総大将の武田勝頼が自ら出撃してきました。

 

信忠は岩村城を力ずくで攻め落とすことを決断しました。勝頼の到着までに決着をつける一か八かの作でした。信忠は自ら先頭に立ち城へ突入。からくも岩村城は陥落。しかし、敵の激しい抵抗で信忠側も大きな損害がでました。

 

天正3年11月28日、信忠は信長から家宝の太刀を譲られました。ついに織田家の主として信長に認められたのです。

 

父さんとボク 最後の夜

信忠に家督を譲った翌年、信長は岐阜を離れ安土に移りました。この頃から信長はほとんどの戦を家臣たちに任せ、頻繁に鷹狩を楽しんだと言います。

 

天正10年(1582年)中国地方の大名・毛利と戦っていた家臣・羽柴秀吉の援軍として信長は明智光秀を派遣。自らも総大将として出陣することにしました。

 

5月29日、信長はわずか20~30人の供回りを連れ安土を出発。途中、京の都に立ち寄り本能寺に滞在しました。6月1日の夜、信忠は本能寺に父を訪ねました。この夜「部屋にあったカエルの形をした香炉が鳴いた」そんな話が本能寺に伝わっています。これが父とともに過ごす最後の夜になるとは信忠は思いもしませんでした。深夜になって信忠は本能寺から1km程離れた宿舎に戻り床につきました。

 

その頃、本能寺では明智光秀の大軍が寺を包囲し四方から攻め込んでいました。信長を守るのはわずか数十人。信長も自ら弓や槍をとって戦いましたが、2万もの敵勢の前には虚しい抵抗でした。やがて、寺の建物に火が放たれ炎上。信長はその奥深くに入っていったと言います。

 

間もなく信忠のところにも明智の軍勢が押し寄せました。味方は約1500、敵の10分の1にも足りませんでした。それでも信忠は真っ先に切り込んでいきましたが、明智勢は大量の鉄砲を放ち信忠たちを圧倒。奮戦虚しく家臣たちは次々と打ち倒されていきました。

 

間もなく建物は炎に包まれました。戦いが始まってわずか2時間で勝負は決しました。このとき信忠26歳、父・信長と同じように燃え盛る炎の中で無常の煙となったと記録は伝えています。

 

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