ニコラ・サルヴィ「トレヴィの泉」|美の巨人たち

トレヴィの泉の1日の水量は約8万トン。水盤に投げ込まれるコインの総額は年間1億5000万円にもなるそうです。壮大な噴水はあらゆる面でスケールが桁違い。時と共に表情を変える美しさも人々を魅了してやみません。

 

トレヴィの泉が完成したのは18世紀半ばです。水盤の横幅は約49m、奥行は30m程。ローマでも有数のスケールを誇ります。中央に立つのは水の源とされる神オケアノス。全長5.8mもあります。乗っているのは貝殻の馬車、その馬車を引いているのは上半身が馬で下半身が魚という海馬。海馬を誘導するのはポセイドンの息子トリトン。オケアノスの足元に広がるのは荒々しい岩礁に見立てた巨大な大理石。背後にそびえる壁はポーリ宮殿の一部です。

 

トレヴィの泉の設計者ニコラ・サルヴィは、1697年にローマで生まれた建築家です。トレヴィの泉の建築コンペに参加して時の教皇に認められ1732年から工事にとりかかりました。完成まで30年もの歳月を費やした難工事でした。それから約250年、今では年間600万人もの観光客が訪れます。

 

ベルニーニはローマのために生まれ ローマはベルニーニのためにつくられた。

 

それほどの賛辞を浴びたジャン・ロレンツォ・ベルニーニは、教皇に愛された天才彫刻家です。サン・ピエトロ大聖堂の名前の由来でも聖ペテロの墓所のブロンズの天蓋や、祭壇の装飾を手掛け、サン・ピエトロ広場も作りました。

 

そのベルニーニのもとに街の広場の装飾する計画が来たのはトレヴィの泉が作られる約100年前のことです。ベルニーニは次々と噴水を作り、ローマを華やかな劇場都市へ変貌させました。それを可能にしたのはヴェルジネ水道です。

 

ローマの東に水源があるヴェルジネ水道は全長20km程。1kmにつき20cm程の傾斜になっていて市内まで緩やかにつながっています。その水の流れはいったん貯水タンクへ。高い位置にすえられたタンクと噴水の高低差によって水が噴き出す仕組みになっています。15年前まではローマにあるほとんどの噴水がヴェルジネ水道を使っていました。しかし今は唯一、トレヴィの泉だけが2000年前から変わらぬ水源の水で満たされています。

 

トレヴィの泉をこれでもかと飾り立て豪華に見せるのは17世紀、ローマを劇的に変貌させたバロックという芸術の一大潮流の特徴です。バロックは「ゆがんだ真珠」という意味で、かつてない斬新な美の表現でした。ねじれたスタイルや力強い曲線。派手で過剰とも思える華美な装飾が特徴です。その芸術を牽引したのがジャン・ロレンツォ・バルニーニでした。

 

当時の教皇は、驚くような美しさがヴァチカンの権威を示すものと考えていました。それを実現させたのがバロック芸術だったのです。教皇は広場を整備し人々をアッと驚かせる美しい噴水で飾らせました。

 

18世紀のヴァチカンは、政治的な影響力に行き詰まりを感じていました。そこで起死回生を願いベルニーニを超える壮大な噴水を作ることを計画。その時、白羽の矢が立ったのがトレヴィの泉だったのです。

 

それまでトレヴィの泉は、3つの噴水口を持つ水盤に共同洗濯場がくっついた飾り気のないものでした。ヴァチカンはこの古代から水道の恵みを保ってきたローマの象徴的存在に注目。そこでニコラ・サルヴィは、それまでの噴水の常識を打ち破る誰も見たことのない仕掛けを繰り出しました。

 

オケアノスを扇のかなめに置き、トリトンと海馬を扇型の線上に配置することで、見る者へ向かってくるような躍動感と迫力を演出したのです。さらに、オケアノスの足元から流れる水はせり出した3段の水盤を駆け落ちスピード感を表現しています。それまでの噴水は水がちょろちょろと流れているものが多かったのですが、トレヴィの泉は落下する水が作り出すその姿が実に多彩です。しかも、水と岩が美しく一体化しています。ニコラ・サルヴィは流れる水の姿を舞台装置として捉えていたのです。

 

「美の巨人たち」
ニコラ・サルヴィの「トレヴィの泉」

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