生き別れた姉妹の奇跡|アンビリバボー

2015年8月、アメリカ・フロリダ州で幼い頃に生き別れになっていた姉妹が約40年ぶりに再会し大きな話題となりました。しかも、2人は幼少期に韓国とアメリカに引き裂かれて以来、互いを捜すようなことは一切していなかったのです。そんな姉妹がいかにして奇跡の再会を果たしたのでしょうか?

 

 

1969年3月、韓国・釜山で小さな食料品店を経営する両親の間にポクナムは生まれました。ポクナムが生まれてすぐ母親が病気で他界。その後、父親は再婚し異母兄弟となる妹のユンスクが生まれました。しかし、酒浸りの生活を送る父親のせいで家庭は荒れ、心労が蓄積した新しい母親は妹を触ることすら許しませんでした。そして、母親は妹ユンスクを連れて家を出て行ってしまったのです。こうして姉妹は生き別れになってしまいました。

 

その後しばらくして母親は娘を一人で育てることが出来ず、児童養護施設へと預け姿を消しました。酒に酔って線路を歩いていた父が電車に轢かれて死亡。ポクナムは天涯孤独となり児童養護施設に入ることになりました。

 

当時、韓国には6万人の身よりのない子供がおり、施設の数も500を超えていました。それにも関わらず、不思議な力に引き寄せられるように妹と同じ児童養護施設に入ることになりました。しかし、ポクナムはユンスクが妹だとは気づきませんでした。彼女は妹の名前すら知らされていなかったからです。奇跡的に再会しながらも2人は互いが姉妹であることを知らずに過ごしました。

 

5歳になったユンスクは、ニューヨークに住むアメリカ人夫婦に引き取られることになりました。当時、韓国の児童養護施設に預けられた子供も10人に1人が養子としてアメリカに引き取られていました。そして1979年5月、ポクナムもアメリカ・バージニア州に住むアメリカ人夫婦に引き取られることになりました。

 

アメリカに来てユンスクはメーガン、ポクナムはホリーと新しい名前を与えられました。その後、肺を患う父親のためユンスク一家は気候の良いフロリダ州へ移住することに。ポクナムもユンスクも養父母の愛情を受けて育ち、いつしか20年の歳月が流れ30歳を過ぎていました。

 

姉ポクナムは結婚し、看護助手としてバージニアにある介護施設で働くようになっていました。2005年、ポクナム夫婦はフロリダに引越し、介護施設で働き始めました。同じ頃、妹ユンスクも看護助手になっていました。とはいえフロリダにある介護施設の数は500程。2人が働いていたのも全く別の施設。出会うことはなく、さらに10年の時が流れました。

 

2015年、ポクナムは以前から働いてみたいと思っていた総合病院の職に応募し採用されました。そして、妹ユンスクも姉が採用された2か月後に同じ病院で働き始めました。姉と同じように総合病院に憧れていたのです。

 

韓国系アメリカ人は全米に170万人近くもいるため、お互いを姉妹だと思うよしもありませんでした。2人は話しているうちに2人とも韓国から養子で渡ってきたことにも及びました。それから数週間後、ポクナムはユンスクを自宅に招きました。

 

ひょんなことから、お互いのビザを見せあうことになり、苗字が同じ「シン」であることが分かりました。そして養子斡旋会社の住所も同じでした。2人はDNA検査をすることに決めました。そして2人は異母姉妹であることが分かったのです。

 

後に韓国で調査をした結果、同じ養護施設で育ったことも判明。40年前に離れ離れになった姉妹が互いの存在を確かめ合った奇跡の瞬間でした。

 

「奇跡体験!アンビリバボー」
生き別れ姉妹の奇跡

この記事のコメント