カルムイク共和国で唯一暮らす日本人|ありえへん世界

カルムイク共和国は、ロシアを中心とした21の共和国からなる連邦国の一つです。16世紀に、もともと中国のウイグル地区に住んでいたモンゴル系の民族が、当時の紛争から逃れるためロシアへ移住したことに始まり、1991年のソビエト崩壊後ロシアの構成国として正式にカルムイク共和国が誕生しました。

初代大統領に就任したのはイリュムジーノフ。2010年までの17年間、トップの座に君臨し続けました。

そんなカルムイク共和国で唯一暮らす日本人が中川さん。中川さんは第二次世界大戦のころ樺太で家族と共に生活し、航空隊に所属しエースパイロットとして敵国と戦っていました。日々激化していく戦況の中で、日本の勝利を信じて疑わなかったと言います。しかし、1945年8月15日、日本は敗戦し終戦しました。

樺太に駐在していた日本人たちの日本への帰還が始まりました。中川さんも日本へ帰ることになりましたが、深い自責の念にかられた中川さんは戦死した仲間に申し訳なく思い、日本に帰ることはしませんでした。それから行くあてもなく無気力な生活を送っていた中川さんですが、ロシア軍に捕らえられ捕虜にされてしまいました。

そして衝動的に切腹。先の見えない捕虜生活の中、いつ消えてしまうかもしれない日本人としての尊厳を守るため残された手段は切腹だけだったのです。しかし、ロシア兵に発見され一命を取りとめていました。再び過酷な強制労働を強いる捕虜生活に戻り、次第に日本人としての誇りが失われていきました。

そして約4年間シベリアで強制労働を課せられたのち、中川さんはロシアに残り20年の月日が流れました。そして、日本人であることを隠しロシア人女性と結婚。肉体労働などで日銭を稼ぎ少ない収入で家族を養う日々。その後、さまようように中央アジアの国々を転々とし、40年前に偶然訪れたのがロシアにおいてアジア系の民族が多く暮らすカルムイク共和国だったのです。

日本人であることを隠していた中川さんにとって顔の似たアジア系の民族が暮らすその地域は、やっと辿り着いた安息の地でした。

ある日、新聞記者が取材に訪れました。カルムイク共和国の人にすっかり心を許していた中川さんは、そこで初めて家族以外に自分が日本人であることを明かし壮絶な過去を語りました。遠く離れた日本を誰よりも深く思いながら日本人であることをひた隠し、まるで武士道のような精神で生きる中川さん。それを知った地元の新聞記者は「あなたはまるでサムライのような生き様だ」と尊敬の念を持ち新聞記事にしました。

その記事がきっかけとなり、中川さんはカルムイク共和国で有名人に。誇りを取り戻し、もう一度日本人として生きることが出来るようになったのです。そして、そのニュースはやがて故郷日本にも届きました。

彼の不遇な半生を知った両国の政府の協力もあって2007年、中川さんの一時帰国が実現しました。遠く異国にいても片時も忘れることのなかった愛する家族と62年ぶりとなる奇跡の再会を果たしたのです。

今やカルムイク国民から愛される中川さん。日本が大震災に見舞われた時も中川さんの故郷・日本に祈りを捧げようという思いから毎日多くのカルムイク国民が日本へ向けて祈りを捧げていたと言います。中川さんは運命に翻弄されながらもカルムイク共和国で愛される存在になったのです。

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カルムイク共和国で唯一暮らす日本人

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