両親殺害の過去を持つ男の連続殺人事件|アンビリバボー

フジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」で両親殺害の過去を持つ男について放送されました。1958年、小柳太一(仮名)と妻は結婚して1年半の新婚夫婦。小柳太一は近所の人からも愛妻家として評判でした。社交的で明るく勤務態度も真面目で優秀でした。しかし、小柳太一は逮捕されました。実は彼は殺人事件の指名手配犯だったのです。

 

1955年6月、山口県下関市に住む田端賢治さん(仮名)とその妻トメさん(仮名)が亡くなっているのが発見されました。そこには一家心中を伝える遺書がありました。田端家には息子の浩二(仮名)とその妻も住んでいましたが当時、浩二の妻は出産のため入院していました。遺書を書いたのは浩二と考えられましたが、彼はどこにも見つかりませんでした。検死の結果、2人の死因は青酸カリを飲んだことによる中毒死であることが分かりました。遺書の言葉通りであれば浩二も自殺をはかっている可能性が高かったのですが、遺体が発見される前日、近所の住民が付近を歩いている浩二を目撃していました。さらに勤めていた酒の販売会社から売上金130万円を盗み出していることも判明。さらに8年前には窃盗罪で逮捕されている前科者でした。これらの事実から警察は遺書は捜査をかく乱するために書かれたものだと判断。浩二は盗んだ金で逃亡したと結論づけました。しかし、その足取りは一向に掴めず事件は迷宮入りするかと思われました。しかし1958年7月9日、事態は急展開を迎えました。警察が日本初の試みとして凶悪事件の容疑者を全国に指名手配したのです。父母を殺害した容疑で逃亡中だった田端浩二も、その中に含まれていました。全国各地に犯人の顔写真と犯行の概要を貼り出す一方、26人の容疑者を調査した結果、田端浩二と全く同じ指紋を持つ男がいることが発覚。それは最近になって前科がついた人物。罪名は住居不法侵入。泥酔して他人の家にあがりこみ寝込んだところを逮捕されたのです。本籍や生年月日は全く異なるため書類上は別人。しかし指紋は一致。警察は2人を同一人物と考え捜査を開始しました。そして小柳太一が田端浩二であることが判明。そして1958年7月16日に警察は小柳太一こと田端浩二を逮捕しました。全国指名手配から1週間後のことでした。

 

なぜ両親を殺害したのか?

田端浩二の母トメは元々は別の男性と結婚していましたが子供に恵まれず養女をとりました。その後、夫と死別。義理の母と娘2人きりだった家に半ば強引に転がりこんできたのが賢治でした。賢治は仕事もしない大酒飲みで養女に暴力をふるうどうしようもない男でした。やがて養女は家を出て結婚。男の子を生みましたが、まもなく離婚。一人では子供を育てることが出来ずトメに頼るほかありませんでした。するとトメは息子を長男として養子に迎えました。この時、養子に入ったのが田端浩二です。こうして同じ屋根の下、血の繋がらない両親との生活が始まりました。しかし賢治は浩二に対し常にきつく当たりました。トメは暴れる賢治を止めることも出来ず見て見ぬふりをしていました。そんな家庭環境だからか素行も荒れていきました。高等小学校を卒業する頃には窃盗などで前科者に。しかし、ある女性との出会いがきっかけで生まれ変わったように真面目に働くように。やがて2人は結婚しましたが、賢治だけでなくトメまでもが妻を邪魔者扱いし始めました。妻が妊娠すると賢治とトメは妻に隠していた前科をネタに浩二を脅しました。浩二は妻が養父母に苛められないように彼らにいつも酒を買って与え機嫌をとっていました。しかし酒代もかさみ浩二の給料だけでは首が回らなくなっていました。そしてついに長年虐げられてきた思いが限界に達しました。1955年6月1日、妻は出産のため入院中でした。浩二は賢治とトメに青酸カリ入りのジュースを飲ませ殺害。そして心中を装った遺書を残し、勤めていた会社から130万円を奪い逃亡しました。犯罪者となった以上、妻と子の前から姿を消すしかなかったのです。

 

下関から別府、東京へと偽名を使いながら人目を避けるように逃走を続けた浩二。自分が指名手配されていることを知り、恐ろしい計画を立てました。1956年2月、東京向島の飲み屋街で戸籍謄本と印鑑を4万円で売るという男を見つけました。浩二は生まれ変わるため新しい戸籍を手に入れようとしたのです。当時は戦後間もない混乱期だったため、生活のため戸籍を売る人間が少なくなかったのです。その男こそ小柳太一。小柳が戸籍を売った事実を黙り通す保障はどこにもないため浩二は小柳を殺しました。その日、浩二は小柳を旅行という名目で連れ出し、車で岡山へと向かいました。胃薬と称して青酸カリを飲ませ殺害し、身元が特定されないようにガソリンをかけ遺体を燃やしました。浩二が犯した罪はこれだけではありませんでした。

 

1958年1月13日、茨城県の湖で見つかったオイル缶の中から人間の切断された指や鼻が見つかりました。周辺を捜索すると指や鼻が切り取られた男性の絞殺体が発見されました。オイル缶から見つかった指や鼻は彼のものでした。指紋から被害者の身元が判明。相田真一(仮名)という男でした。相田真一は殺された日、溝端保(仮名)と名乗る男と旅館に宿泊していました。溝端保は浩二でした。

 

小柳太一さんを殺害後、彼になりすましていた田端浩二は細心の注意を払いながらマジメに生活していました。そして職場を転々としているうちに一人の女性と出会いました。過去のことは全て隠し小柳太一として結婚。そして運転手として就職しました。やがて子供にも恵まれ、時効を待って逃げ切ろうと考えていました。しかし1957年12月、年の瀬の賑やかな雰囲気に気持ちが緩んでしまい泥酔。自宅と間違えて他人の家に上がりこんでしまったのです。これにより指紋が警察に登録されてしまいました。やっと掴んだ幸せを自ら危機にさらした浩二はとんでもない行動にでました。妻や会社には母が死んだから実家に帰ると嘘をつき浅草へ。ここには当時、日雇い労働者が大勢いました。浩二は自分と同じ年くらいの男を探し相田真一さんに声をかけました。浩二は戸籍謄本と印鑑を1万5000円で買うと持ちかけたのです。そして一緒に浅草の木花旅館に泊まり、水戸の観光を楽しませた後、相田さんを絞殺。全ては相田真一という人物になりすますためでした。完全に成りすますため遺体の身元は絶対に割れないようにする必要がありました。指と鼻を切り取り、石を入れたオイル缶の中に入れ湖に沈めました。さらに遺体は山中に捨て顔には硫酸をかけました。完璧な計画のはずでしたが、わずか数日後、被害者の身元が明らかに。実は相田さんがいた浅草は当時荒くれ者が多く、前科持ちは珍しくありませんでした。警察の執念により指紋は復元され、相田さんには前科があり登録されていた指紋が見つかったため身元が判明したのです。それでも自分との接点までは簡単に分かるはずはないと思っていましたが、日本初の大規模な公開捜査が始まりました。そして全国指名手配からわずか1週間、田端浩二は逮捕されました。

 

逮捕から半年後、田端浩二に死刑判決が下りました。判決から4年後の1965年、死刑は執行されました。