フランス ロワール古城巡り|美の巨人たち

フランス中央部を流れるロワール川は、かつて輸送路として活躍したフランス一長い川です。オルレアンから河口までの風光明媚な流域は、王侯貴族が競うように城を建てたことから「フランスの庭」と呼ばれています。

 

アンボワーズ城 謎の地下道

ロワール川を見下ろす高台にそびえるアンボワーズ城は中世時代、敵の侵略を防ぐ要塞でした。しかし、15世紀から16世紀にかけて生まれ変わりました。

 

現在のアンボワーズ城を作り上げたのは、シャルル8世とフランソワ1世です。アンボワーズ城は高い城壁の上に建ち、居住用の館は川を見下ろす位置にあります。正面は洗練されたお屋敷のような趣ですが、裏側はいかつい感じです。

 

城壁にはりつくように建つ2つの塔は、15世紀にシャルル8世が力を入れた場所です。ミニーム塔はシャルル8世専用の玄関でした。馬に乗ったまま橋を渡り塔の道を駆け上がっていったのです。天井にはゴシック様式のアーチを取り入れました。大聖堂のような荘厳さこそ王の道にふさわしいというシャルル8世のこだわりです。

 

4年前、城の地下の石垣の内部に壁画が見つかりました。壁画はシャルル8世の時代より200年も前のもので13世紀の礼拝堂に見られる図案です。当時、使用人たちは王の部屋やテラスを通ることが出来なかったので地下を移動し、地下で仕事をしていました。

 

実はアンボワーズ城には、アリの巣のように地下道や地下室が無数にあります。その数は300とも500とも言われ、いまだに調査中だそうです。

 

アンボワーズ城 イタリアの影響

アンボワーズ城はフランスの芸術文化を大きく変えるきっかけとなりました。シャルル8世が増改築を始めた当時はナポリを制圧した頃で、王はイタリアの芸術や文化に感動し城をイタリア風に改装したいと考えました。そのため、芸術家や庭師まで招きました。アンボワーズ城で初めてイタリアとフランスの芸術文化が混じりあったのです。

 

シャルル8世が手始めにイタリアから持ち込んだのは庭でした。しかし、シャルル8世は28歳という若さで亡くなりました。次の王はルイ12世でしたが、ブロワ城を居城としたためアンボワーズ城にはほとんど手を入れず、シャルル8世の意思を受け継いだのはルイ12世の従兄弟のフランソワ1世でした。

 

フランソワ1世はシャルル8世が始めたイタリア戦争を継続しミラノ公国を占領。その頃、イタリアはルネサンスの最盛期。フランソワ1世はルネサンスを積極的に取り入れていきました。それによってフランス王家の生活スタイルにも変化がもたらされました。

 

クロ・リュセ城 万能の天才

クロ・リュセ城は、フランソワ1世が幼少時代を過ごした城です。フランソワ1世はイタリア遠征で出会ったレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスへと招きました。そしてクロ・リュセ城に住まわせたのです。レオナルド・ダ・ヴィンチは1516年から亡くなるまでの3年間をクロ・リュセ城で過ごしました。彼の荷物には「モナ・リザ」「聖アンナと聖母子」「洗礼者ヨハネ」が含まれていました。

 

フランソワ1世は、科学者レオナルドの幅広い知識にも期待していました。特に彼の建築の才能がフランスの国作りにとって大きな力になると考えていたのです。しかし、その夢の途中レオナルドは亡くなってしまいました。

 

シャンボール城 天才の知恵

フランソワ1世がレオナルドの死の直後から建築に着手したシャンボール城。シャンボール城は居住用ではなく狩猟を行うために作ったものです。フランスで二重螺旋階段があるのはシャンボール城だけです。レオナルドは複雑な階段の構造を研究していました。そのアイディアをフランソワ1世が実現させたのです。また3階のホールの天井はかまぼこ型になっています。

 

ユッセ城 おとぎ話!?

ユッセ城は11世紀に要塞として作られ15世紀から17世紀にかけて改築されました。ユッセ城は「眠れる森の美女」の舞台となった城です。

 

17世紀の作家シャルル・ペローは、塔の中に主人公のお姫様を眠らせました。物語にふさわしい緑豊かな場所を探していたペローはユッセ城を見つけ、ここに滞在し書いたと言います。

 

シュノンソー城 女たちの闘い

シュノンソー城は、15世紀から16世紀にかけて改築され美しい城になりました。絶世の美女と言われたディアーヌは、フランス東部の名門貴族の出身。15歳で40歳年上の貴族と結婚しましたが、32歳で夫を亡くしました。

 

そんな彼女に手を差し伸べたのがフランソワ1世。美しいだけでなく音楽や文学に造詣の深かったディアーヌを息子アンリ2世の教育係として雇い入れました。早くに母を亡くしたアンリ2世にとって、20歳年上のディアーヌは母のような存在でした。

 

アンリ2世は15歳で結婚。相手はイタリア・メディチ家のカトリーヌ。この結婚はフランソワ1世が仕組んだものでした。当時、急速に力を増した銀行家メディチ家とフランス王家の政略結婚でした。

 

しかし、アンリ2世が愛していたのはディアーヌ。王に即位した後は政治の相談役として重用し、二人で書類にサインまでしていたと言います。まるで王妃のような振る舞いはカトリーヌを苛立たせました。そんなカトリーヌの思いを気にもとめずディアーヌに様々なものを贈りました。その最たるものがシュノンソー城でした。王から愛人にプレゼントされた城は華麗な変貌を遂げていきました。

 

夫に裏切られカトリーヌは孤独でした。1559年、馬上槍試合の事故がもとでアンリ2世は亡くなりました。カトリーヌは葬儀にディアーヌを立ち合わせず、王の死後は常に黒い喪服を着て妻としての存在感をフランス中に示しました。

 

カトリーヌは幼い息子の代わりに摂政としてフランスを統治。真っ先に行ったのはシュノンソー城をディアーヌから取り上げることでした。

 

デァアーヌとカトリーヌが作り上げた城には王たちの城にはない女性の城ならではの美が輝いています。

 

「美の巨人たち」
フランス・ロワール古城巡り後編
~愛と野望に彩られた究極の美~

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