文豪・谷崎潤一郎と女たち|歴史秘話ヒストリア

NHK総合テレビの「歴史秘話ヒストリア」であなたはボクの女神様!~文豪・谷崎潤一郎と女たち~が放送されました。谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)は大正から昭和にかけて活躍した日本を代表する作家の一人です。そんな文豪が描きだしたのは官能の世界。私生活もまた小説以上のスキャンダルにみちていました。

 

悩める作家の禁断の恋

谷崎潤一郎は東京帝国大学を中退し25歳で小説家になりました。洗練された文章と都会的な作風が評価され新進気鋭の作家として注目を浴びました。しかし、三十路の頃スランプに陥ってしまいました。行き詰っていたのは仕事だけではなく、結婚したばかりの家庭でも。妻の千代は従順な性格で働き者でしたが、妻との生活は退屈で物足りなく感じられてきたのです。苦悩が続いていたある日、思いがけない出会いが訪れました。それは13歳になる千代の妹せい子。せい子は姉の千代とは違って堀の深い顔立ちをしていました。せい子は小学校を出ただけで十分な教育を受けていませんでした。そこで谷崎潤一郎は彼女を引き取り女学校に通わせることにしました。ところが一緒に暮らしてみると、せい子はとんでもない女の子でした。家事は姉に任せっきりで例え暇でも一切手伝わず賭け事が大好き。谷崎潤一郎たち大人を巻き込んで花札にトランプ。それに飽きると窓辺に立ち大きな声で歌を歌ったりしました。何をしでかすか分からない自由奔放な少女だったのです。家に帰る時間も日に日に遅くなりました。

 

谷崎潤一郎とせい子が出会って5年、せい子は18歳の美しい娘に成長しました。せい子の行動は以前にも増して勝手気ままに。谷崎潤一郎の作家仲間と遊び歩くようになったのです。それを見ても谷崎潤一郎は叱りませんでした。「あれは猛獣だよ。わがままで生き生きして。同じ獣なら僕は家畜より猛獣を選ぶね。例え噛み殺される恐れがあってもね」と言っていたそうです。ところが甘やかすうちにせい子の猛獣ぶりはどんどんエスカレート。相手の男性をとっかえひっかえ。焦った谷崎潤一郎はせい子にプロポーズ。しかし、せい子は谷崎潤一郎に恋愛感情など少しも持っていませんでした。禁断の恋はあっけなく終わったのです。

 

みじめな失恋から3年後、谷崎潤一郎はせい子との体験をもとにした作品「痴人の愛」を書き上げました。ある男性の告白から始まる物語です。主人公はサラリーマンの譲治。15歳のナオミと出会い彼女を理想的な女性の育て妻にしようと同居生活を始めます。しかしナオミは譲治の言うことなどきかない奔放な娘に成長。怒った譲治はナオミを家から追い出します。しかし彼女が恋しくてたまらず帰って来て欲しいと哀願するのです。「痴人」とは愚か者のこと。少女に振り回され踏みつけられることに喜びを見出す哀れな男の恋物語でした。

 

大正時代、恋愛や性に対する考え方はそれ以前より自由になっていました。そんな時期に出された「痴人の愛」は話題を呼びベストセラーに。単行本はその年に出た単行本で最高の売り上げを記録しました。さらに「ナオミズム」という言葉まで流行し社会現象を巻き起こしました。この作品を機に谷崎潤一郎は官能を描く作家として新たな道を歩き始めたのです。

 

あなた様こそ「芸術の女神」

大正12年、関東大震災が起こりました。谷崎潤一郎は火災で家を失い友人を頼って関西へ移りました。住まいを転々とした末ようやく落ち着いたのは神戸。そして、根津松子と運命的に出会いました。昭和2年、大阪で芥川龍之介と酒を酌み交していました。そこへ現れたのが大阪で木綿問屋を営む商人の妻・根津松子。彼女は大の文学好きでした。松子が嫁いだ家は大阪でも有名な老舗で彼女自身も関西きっての名家の出でした。これまで出会ったどの女性とも違う松子の気高い美しさに谷崎潤一郎は夢中に。しかし松子は格式ある家の奥さんで、谷崎潤一郎もまた妻のいる身です。恋愛など許されるはずもありませんでした。そこでまず谷崎潤一郎は松子と友人としての関係を深めようとしました。妻を連れて松子の家を訪ね一緒に食事などをするうちにすっかり打ち解けた間柄に。そして松子と同じ街に引越し、さらに親しくなると松子の家の隣に引越しました。そんな時、松子の夫が事業に失敗。愛人をつくりほとんど別居状態に。谷崎潤一郎は松子に恋文を送りました。その情熱はやがて松子の心を動かし、二人は恋仲になりました。憧れの女性を得て谷崎潤一郎の中に創作意欲がわいてきました。そこで谷崎潤一郎は松子に身の回りの世話をさせて欲しいと申し出ました。当時、谷崎潤一郎は女主人とその奉公人の物語を小説にしようと考えていました。創作の参考にするため松子を主人にみたて自らは奉公人として振舞おうとしたのです。

 

松子との擬似的な主従関係から次の作品が生まれました。恋愛小説の傑作「春琴抄」です。盲目の令嬢・春琴と奉公人・佐助の物語です。琴や三味線の名人でもある春琴は輝くような美貌の持ち主ですが気が強く尊大な女性。春琴につらく当たられていたのが佐助です。文句も言わず目の不自由な春琴の面倒をみていました。ある日、春琴は何者かに熱湯を浴びせられ顔に大やけどをおってしまいます。変わり果てた顔を見られたくないと嘆きました。それを知った佐助は自分の目を傷つけて春琴と同じ盲目に。究極の愛の物語は一般の読者はもちろん作家仲間からも絶賛されました。谷崎潤一郎にとって「春琴抄」は松子がいたからこそ書き上げることのできた作品でした。「春琴抄」発表から2年後、谷崎潤一郎は前の妻と別れ松子と結婚しました。

 

それでもボクは女性を書く!

昭和10年、兵庫県芦屋市で谷崎潤一郎と松子の新婚生活が始まりました。新居では松子と前の夫の間に産まれた娘、松子の妹2人も一緒でした。昭和16年、太平洋戦争が始まりました。次第に食料は配給となり生活必需品を手に入れることも難しくなっていきました。谷崎潤一郎は執筆を始めました。タイトルは「細雪」手のひらに受けるとすぐ溶けてしまう細かい雪のことです。愛する松子とその姉妹たちとの日々を美しくも儚い細雪に重ねたのかもしれません。昭和18年、文芸雑誌で「細雪」の連載が始まりました。物語は生き生きとした関西弁から始まります。大阪の老舗で育った姉妹の人間模様を描く長編小説で、花見や蛍狩りなど風情豊かな伝統行事をちりばめながら物語は進んでいくはずでした。ところが第二回が発表されると「細雪」は連載中止に。この頃、戦時の言論統制のため当局による厳しい検閲が行われていました。贅沢な暮らしをとりあげた小説は時局にふさわしくないとみなされたのです。しかし谷崎潤一郎は「細雪」の執筆を諦めませんでした。密かに書き進め、一区切りつくと自費で印刷し親しい知人に配りました。しかし家に刑事が来てしまいました。それでも谷崎潤一郎は筆をとめませんでした。もはや世に出す術のない「細雪」を自宅でひたすら推敲し書き進めました。

 

そして昭和23年「細雪」は完成。執筆に6年を費やした大作です。登場するのは松子と妹たちをモデルにした姉妹。三女の雪子は良縁に恵まれない独り身の女性です。そんな妹に何とか結婚してもらおうと世話を焼くのが次女の幸子。モデルは松子です。過去の谷崎作品とは違って「細雪」には刺激的な描写も官能的な場面もありません。しかし、そこには日々の暮らしの中で揺れ動く女性の心の内がこれまでのどの作品よりも細やかにうつし出されていました。日本の女性のたおやかな強さ、古き日本の美をうたう「細雪」は高い評価を受けました。

 

「細雪」は17ヶ国語以上に翻訳され海外でも高い人気を誇っています。昭和31年、70歳を超えた谷崎潤一郎は「鍵」を発表。熟年夫婦の性の営みについて記した日記という形をとっています。それまで誰もほとんど触れてこなかった老人の性がテーマでした。この小説は社会で大きな議論を呼びました。しかし谷崎潤一郎は生きている限りついてまわる性の問題に取り組み小説に書くことを決してやめませんでした。

 

昭和40年7月30日、谷崎潤一郎は病に倒れ79年の生涯を終えました。死の間際でも何度も床から起きペンを握ろうとしていたと言います。


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