ヘタウマって何だ?|ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ

NHK・Eテレの「ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ」でヘタウマって何だ?が放送されました。1960年代、画一化・均一化された商品が大量生産され街にあふれました。テレビや雑誌などの媒体でモノを売るための広告も活況を見せました。その煽りを受けて当時挿絵画家として認識されることが多かったイラストレーターという職業が注目され始めました。1965年、和田誠、横尾忠則らが日本初のイラストレーターによる組織「東京イラストレーターズ・クラブ」を発足。これまでの画一的な広告業界に異議をとなえ、作家による個性豊かな表現を打ち出しました。イラストレーションという言葉が瞬く間に日本中に広まっていきました。その翌年にデビューしたのが後にヘタウマの創始者と呼ばれる湯村輝彦。湯村はアメリカのポップアートなどから影響を受けた作品で頭角を現しました。しかし1967年、突如後のヘタウマへと繋がる作品を発表。それはとある雑誌にそえられた小さなイラストでタイトルは「江戸時代の銭湯」でした。そして1976年4月、雑誌「ガロ」に湯村輝彦と糸井重坊の共著「ペンギンごはん」が掲載されました。それは漫画界の革命でありヘタウマという言葉が多くの人に認知されるきっかけとなりました。

 

「ペンギンごはん」の衝撃を受けた漫画界ではヘタウマ的作品を発表する作家たちが続々と登場。その一人が蛭子能収(えびすよしかず)です。蛭子能収がデビューしたのは1974年。70年代の日本は60年代から続いた安保闘争の熱が冷め、大人からは無気力・無責任と形容されるシラケ世代の若者たちが急増していました。そんな中、蛭子能収は漫画家になることを決心しました。1981年、雑誌「ガロ」でデビューした根元敬(ねもとたかし)は湯村輝彦の画風に影響され漫画家の道へ。




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