伝説の深夜テレビ|ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ

NHK・Eテレの「ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ」で第3回 伝説の深夜テレビが放送されました。1953年、日本でテレビ放送が始まりました。それはまるで魔法の箱で人々は目を輝かせました。1960年代前半、高度経済成長の真っ只中、大人たちは週末の夜の一時をゆったり過ごすため毎週楽しみにしていたのがNHKの「夢であいましょう」です。歌ありコントありのバラエティの先駆けです。当時はこの番組を見終わってから寝床につくのが週末の夜のライフスタイルとまで言われました。そして1965年11月8日、深夜テレビに一大革命が起こりました。当時は真夜中という認識だった夜11時からスタートした深夜のニュースワイドショー「11PM」です。政治からストリップまでを合言葉にギャンブル、政治批判などまだ視聴者の少ない深夜であることを逆手にとり従来のテレビでタブー視されていた内容を次々に世に発信し続けていきました。深夜テレビの元祖「11PM」は当時の猛烈と呼ばれ真面目一辺倒で働いていたサラリーマンたちに向けた娯楽や遊びの哲学への誘いでした。

 

1980年代、大音量のディスコサウンドでダンスに興じ、ストリートでパフォーマンスを繰り広げる若者たちが街にあふれました。それはバブル前夜。まさに踊る時代の始まりでした。このころ、日本全国で深夜営業のコンビニエンスストアやレンタルビデオ店が急増。日本人のライフスタイルは大きく変化しました。人々の就寝時間は年々遅くなり学校や仕事で過ごす時間とは異なるもう一つの時間帯を獲得。そこで夜遅くに活動する深夜族と呼ばれる若者たちをターゲットにした番組が各局から次々と産声をあげました。1983年「オールナイトフジ」がスタート。普通の女子大生オールライダーズが人気に。世に女子大生ブームを巻き起こしました。この成功で土曜深夜帯に各局が参戦。演出はエスカレートし視聴者の欲望を刺激しようとしのぎを削り、お色気戦争とも揶揄される状況に。そして「女子大生はもう古い」を合言葉に所ジョージさんを司会に「TV海賊チャンネル」が生まれました。女性の裸体の一部をランダムに映し出すコーナー「ティッシュタイム」が話題に。80年代前代の深夜テレビは何でもアリの無法地帯で、この後に来る深夜テレビの革命期を準備する表現の実験場ともなっていたのです。

 

1980年代後半、世は空前のバブル景気に沸きました。消費社会の沸点では一見無駄で無価値なものにさえ価値が生まれました。そんな時代の空気を反映した深夜番組が次々に生まれました。「軽チャー」という言葉をキャッチコピーにするテレビ局も現れました。1987年、フジテレビが第二のテレビ局JOCXTV2と銘打ち、深夜の時間帯を20代後半から30代の若いテレビマンにたくし、これまでの常識にとらわれない番組が続出することになりました。


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