横浜銀蝿の翔は今… 覚せい剤で3回逮捕&更生の道…|爆報!THEフライデー

1980年代、大人気スターへとのぼりつめた横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)のボーカルとして人気だったのが(しょう)さんです。

 

横浜銀蝿はスッパリをテーマにリーゼントに革ジャン、ドカンのズボンという不良ファッション、メンバーが全員横浜の不良出身でツッパリたちの率直な気持ちを代弁しティーンから支持を得ました。レコード、カセットは計700万枚を売り上げ、グッズ収入なども合わせ130億円の大ヒット。

 

そして、その見た目とは裏腹に薬物撲滅を訴えたり若者たちと真摯に向き合いました。しかし、この活動の14年後、翔さんはファンを裏切り自らが薬物に溺れてしまったのです。

 

覚せい剤で逮捕

 

翔さんが最初に覚せい剤で逮捕されたのは1997年。当時38歳だった翔さんはタレントとしても活躍するかたわら、アメリカ車専門の中古車販売会社を経営。妻と4歳の娘と仲睦ましく暮らし公私ともに順調な日々を過ごしていました。

 

きっかけは些細なことでした。ある日の夜、都内の路上で外国人から声をかけられ興味本位で大麻を購入。薬物の魔力にどんどん溺れていき、ついに覚せい剤に手を染めてしまいました。「自分の体のことだから別にいいじゃないか」そんな身勝手な甘えた感情から覚せい剤に溺れていったのです。

 

そして1997年2月27日、覚せい剤取締法違反で逮捕されました。当時の報道によると茅ヶ崎市在住の29歳の知人女性が翔さんに覚せい剤を注射されたと神奈川県警に出頭。女性の尿から陽性反応が出たことから翔さんは覚せい剤使用・所持の疑いで逮捕されました。

 

しかし、翔さん本人の尿検査は陰性で、薬物も持っていなかったため拘置期限切れで釈放されました。兄と共に記者会見で無実を訴えました。

 

結果的に証拠不十分で不起訴処分になったものの、1998年9月17日、翔さんは覚せい剤取締法違反で2度目の逮捕となりました。当時の報道によると横浜市の24歳の知人女性宅から大麻と覚せい剤が見つかり「翔と一緒に鼻と口で吸った」と供述。翔さんの尿から陽性反応が出たため逮捕され1年4ヶ月の実刑判決となりました。

 

彼を信じたファン、兄や関係者全ての人間を裏切ったのです。しかし、その裏で彼が抱いていたのは未熟で身勝手な思いでした。

 

入所から1年4ヵ月後、翔さんは罪を償い出所しました。世間の信用はゼロ、ファンも完全に離れていたものの兄だけは翔さんの更生を信じ必死に営業活動を続け、出所から2年CD発売までこぎつげました。

 

しかし、発売日前日の2003年4月24日、翔さんが覚せい剤で3度目の逮捕。CDの発売は中止されました。そして翔さんの度重なる不祥事に耐えかね、妻と娘も彼のもとを去りました。翔さんに下された判決は1年10ヶ月の実刑判決でした。

 

刑務所内で兄の嵐さんが小脳梗塞で倒れたことを知りました。「嵐が倒れたのは俺のせいに違いない」と感じたそうです。今まで誰にも迷惑をかけていないと感じていた翔さんですが、この時初めて周りの人生を狂わせていたことに気づいたのです。

 

2004年12月9日に出所した翔さん。いつかステージに立つことを目標に兄弟で覚せい剤と向き合いながら再び更生する道を歩みだしました。出所後、実家に戻った翔さんは糖尿病を患う母の介護をしながら35周年をむかえる横浜銀蝿で活動しています。

 

「爆報!THEフライデー」

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