孔子がくれた夢~中国・格差に挑む山里の記録~|ETV特集

中国・貴州省のNGOで働く石卿傑(せききょうけつ)さんは、山村の小学生に孔子がとなえた儒教を教えています。中国ではこの100年間、儒教は打ち捨てられてきました。ところが今、中国政府は国をあげて儒教を復活させると宣言。空前の儒教ブームが巻き起こっています。

 

都市部には、儒教の塾が1万ヶ所も開講したと言われています。一人っ子政策でわがままに育った子供の教育にもってこいだと人気を集めています。

 

石卿傑さんが儒教を教えたのは都会ではなく山奥の子供たちです。経済発展から取り残された貧しい村の子供たちでも、儒教を学べば将来が開けると取り組んできました。

 

貴州省納雍県は、中国の中でも特に険しい山間地です。標高1500mの山肌にしがみつくように点在する集落が董地郷です。住民の8割以上が少数民族の苗族(ミャオ族)です。

 

石灰岩が多い痩せた高地で、じゃがいもやとうもろこしを育てて暮らしています。住民の平均年収は都市住民の5分の1以下です。ガスや水道は通っておらず、生活用水も畑の水も麓から1時間近くかけて運び上げています。

 

2011年、石卿傑さんが村の小学校にやってきました。石卿傑さんは、文房具の提供や授業料の援助などを行うNGO貴州民間助学促進会の職員です。都会に先んじて儒教の教育にも力を入れていました。子供たちに配ったのは儒教の経典「論語」を子供向けにした本です。

 

儒教は、約2500年前の古代中国で生まれた思想の体系で、生みの親は孔子です。孔子が大事にしたのは仁義礼智信の5つ。

義:「欲にとらわれず正しいことを成せ」
礼:「上下関係を重んじよ」
智:「学問に励め」
信:「約束を守り誠実であれ」
仁:「人を思いやる心」

中でも孔子が最高の徳目としたのが「人を思いやる心」のです。

 

儒教の経典を暗記することが本当に子供の将来に役立つのか、先生の間では論語の学習に対して賛否が分かれていました。石卿傑さんには子供たちが論語で身を立てる具体的なアイディアがありました。

 

2011年、都市部では儒教ブームが始まっていました。記憶力の良い子供の時に経典を覚えておけば儒教の教師の道が開けるし、アルバイトで教えて学費を稼ぐこともできると石卿傑さんは見込んでいました。

 

このアイディアは、村の子供たちの家計調査をしながら考えたものです。村の子供が貧困から這い上がるための数少ない手段として石卿傑さんは儒教にかけていました。

 

石卿傑さんは、貴州省の長征村出身でした。村から大学に進んだ石卿傑さんですが、学費を工面するため両親は苦労を重ねたと言います。「同じ境遇の子供たちの力になりたい」と石卿傑さんは弁護士資格まで取得していましたが、法律事務所ではなく月給3万円のNGOに入りました。

 

石卿傑さんは事務局長としてボランティアをまとめています。NGOでは貴州省内の小学校に1冊8元する論語の教科書を無償で配布しています。こうした活動に必要な資金は、年間600万円かかります。資金を集めるのも石卿傑さんの役目です。

 

孔子によって生み出された儒教は1世紀頃、漢王朝で国の教え国教とされました。以来2000年、歴代王朝のもとで国を治める要の思想として強い影響力を維持してきました。

 

しかし20世紀初頭、清王朝が倒れ中華民国が誕生すると、儒教は専制政治を支えた思想だと批判されました。続いて建国された中華人民共和国でも儒教は弾圧を受けました。毛沢東が始動した文化大革命で、孔子像は破壊され多くの経典が燃やされました。以後100年間、儒教は忘れ去られてきました。

 

再び転機が訪れたのは2011年1月。歴史から抹殺されたはずの孔子像が中国国家博物館に建てられたのです。

 

孔子像のニュースが貴州省の山にも伝わった夏、石卿傑さんと子供たちは夏休みに北京で開かれる儒教朗読の合宿に招待されました。子供たちにとって貴州省の外に出るのは初めての体験です。

 

北京では儒教が人々の新たな心の拠り所になろうとしていました。目覚しい経済発展により豊かさを手に入れる一方で、新たに生まれたストレスや不安。都市の富裕層はお金では買えない救いを儒教に求めたのです。

 

北京市内には、儒教を教える塾が100ヶ所以上もできていました。一人っ子政策により愛情を一身に受けて育った「小皇帝」と呼ばれる子供たち。我儘な子供の教育にも儒教はもってこいだともてはやされています。

 

合宿が終わった日、子供たちは孔子像を見に行きました。その後、子供たちは孔子の生誕地である山東省曲阜市へ。曲阜国学院では22歳までの若者が3年間の課程で学んでいます。生徒たちは失われた中国の伝統文化を身につけ、儒教学校の先生になることを目指しています。曲阜国学院の学費は年間46万円。急速な儒教ブームの高まりによって、論語の教師になるのにも長い修練とお金がかかるようになってしまっていました。

 

貧富の差が広がる中で儒教によって山の子供は救えるのか、石卿傑さんは世界儒学大会に足を運びました。しかし、拝金主義へのいましめは富裕層には響いても、貧しい山の子供の問題とは噛み合いません。学者たちの研究会にも顔を出しましたが、彼らの儒教研究では石卿傑さんが直面している貧困の問題は解決できそうにありませんでした。

 

心に生じた論語教育への疑念を拭いきれないまま、石卿傑さんは活動を続けました。2014年までの4年間で石卿傑さんが訪ねた小学校は40以上。5万冊を超える論語の本を送り続けました。石卿傑さんの活動が貴州省政府から認められ表彰されました。NGOの活動資金も4年間で6倍に増えました。

 

2014年9月24日、習近平国家主席が儒教の価値を再評価すると世界に向けて宣言。これを機に儒教ブームには一層拍車がかかりました。

 

2015年2月、久しぶりに村に行った石卿傑さんは子供たちの家を訪ねました。楊秀麗さん(14歳)は村から20キロ離れた麓の中学校に入りました。しかし、2年生の1学期で退学し、広東省の工場で働くようになっていました。慣れない職場で製造ラインの機械に手を挟まれ骨折。傷が治るまで自宅に帰されていました。

 

周敏さん(15歳)と弟は麓の中学校に進みましたが、1学期にかかる学費4万円の支払いが難しく、どちらかが退学しなければならないと言います。周敏さんは自分が退学し弟を学校に通わせ続けたいと言っていました。村から中学に進学した子供のうち半数が退学していました。

 

失意の中、石卿傑さんは久しぶりに実家に帰りました。両親は息子にそろそろ結婚して身を固めて欲しいと願っています。中国では自宅を持つことが結婚の条件とされることが多くなっています。しかし、貯金のない石卿傑さんが家を買うにはローンを組まなくてはなりません。ところが、NGOの職員ではローンを組むことができません。

 

2月末、石卿傑さんはNGOを退職しました。2ヶ月後、北京で商売を始めようとしていました。儒教の塾ではユニフォームとして漢民族の伝統衣装を着るのが流行っています。それならば漢服の注文販売ができないかと思ったのです。中国に漢服の販売店はまだなく、ネット通販では4000円前後で売られています。NGOでの活動からビジネスへ。石卿傑さんは慣れない世界で次の一歩を模索していました。

 

清鎮市養正学校は貴州でも指折りの名門中学校です。ここに村の子供5人が通っています。学年10番以内に村の子が4人も入っています。5人は特待生として寮費や食費も免除されています。

 

石卿傑さんは子供たちにお別れを言いにきました。この先どんな試練が待ち受けているのかは分かりませんが、それでも山里で石卿傑さんと学んだ教えや言葉がきっと彼らを支えてくれるはずです。

 

儒教を通して中国の格差と向き合ってきた石卿傑さん。今のビジネスが軌道にのったら、山村の子供を支える活動を再開したいと考えています。

 

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~中国・格差に挑む山里の記録~

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