柴又上智大生殺人放火事件|ザ!世界仰天ニュース

1996年9月9日、東京葛飾区柴又にある1軒の家が全焼。2階の一室から女性の遺体が発見されました。

発見された遺体は小林順子(こばやしじゅんこ)さん(当時21歳)この家に住む大学生でした。小林順子さんの口と両手には粘着テープが貼られ、両足はストッキングで縛られ、首を6ヶ所刺され殺されていました。

小林順子さんは、ボランティアにも熱心で上智大学外国語学部の4年生でした。得意の英語を活かしたいとジャーナリストを夢見ていました。明るく誰からも慕われていた彼女がなぜ殺されたのでしょうか?事件発生から18年半経っていますが、未だに犯人は捕まっていません。

1996年8月、小林順子さんは長年思い描いていた夢が叶おうとしていました。数日後、念願だった海外留学の為アメリカのシアトルへ行く予定だったのです。

事件前日の1996年9月8日の夜、小林順子さんは近所のファミレスで中学の同級生達と別れを惜しんでのおしゃべりをしていました。そして9月9日の朝に帰宅しました。

午後3時50分、昼過ぎに目覚めた小林順子さんはパジャマで2階の自分の部屋にいました。母の幸子さんは都内にある勤め先へ。そして、小林順子さんは殺され火事が発生しました。

小林順子さんは口と両手を粘着テープで、両足をストッキングで縛られ首には鋭利な刃物による6ヶ所の刺し傷がありました。両手には数箇所傷があり襲われた時に抵抗したことを示していました。そして、遺体には膝から頭まで布団がかけられていました。その布団により火災での遺体の損傷は比較的少なかったのです。

事件の翌日から現場検証が行われ、捜査が進むにつれ事件当時の状況が分かってきました。母・幸子さんが仕事に出かけたのは午後3時50分。玄関の鍵はかけませんでした。午後4時39分、隣の住人が火災に気づき119番通報。犯行はこの49分間のうちに行われました。

小林順子さんの遺体が発見されたのは2階の和室。小林順子さんの遺体を司法解剖した結果、死因は首の傷による失血死であることが分かりました。

小林さん宅は、密集した住宅地にあり窓からの侵入は難しい構造のため、犯人は鍵のかかっていない玄関から侵入したと見られます。遺体を動かした形跡はないため、2階の部屋が殺害現場と見られました。小林順子さんの足を縛っていたストッキングは「からげ結び」という特殊な結び方がされていました。

【からげ結び】
竹や細い木で垣根を組む時や和服に着付けに用いられる。

放火に使われたマッチは、小林さん宅の仏壇で使っていたものと見られています。つまり、犯人は火をつける準備をしていなかったのです。

このマッチ箱から指紋は発見されませんでしたが、布製の手袋の跡とA型の血液が。DNA鑑定の結果、血液は男性のものであることが判明しました。

犯人は小林順子さんを襲ったさい、抵抗され自分も手に怪我をした可能性があります。凶器の刃物は発見されていませんが傷口から刃渡り8cm以上、幅2.5~3cm程の片刃の刃物とみられています。

母が出かける時、順子さんはパジャマ姿でしたが遺体で発見され時は短パンにTシャツ。外出しようとしていたのか、誰か訪ねて来たのか、たまたま着替えていただけだったのでしょうか?

また犯行に使われた粘着テープは小林さん宅にあったものではなく、犯人が持ち込んだ物と思われました。その粘着テープからは3種類の犬の毛が発見されました。小林さん宅では犬を飼っていません。

3種類の犬の毛や粘着テープ、からげ結びなど手がかりはありましたが、トラブルや怨恨関係もなく捜査は難航しました。手口が残虐なことに加え遺体に布団をかけていたのは犯罪心理学上、恨みを持つ顔見知りによる犯行の場合に多く見られる行動だと言います。

警視庁は順子さんの交友関係に調べを広げ、大学の友人、小中高時代の元同級生などから話を聞きましたが怪しい人物は浮上しませんでした。さらに、家族に関わる人物までも広くあたりました。しかし、殺害に至るようなトラブルの情報はありませんでした。

事件から19年が経とうとしている今も、小林順子さんの命を奪った犯人は捕まっていません。

2014年、遺体にかけられた布団に付着した血液を最新の技術で鑑定したところ、犯人の物と見られるDNA型が検出されました。それはマッチ箱に付着していたものと一致。これまでにDNAが一致する人物は現れていませんが捜査は今も続いています。

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柴又上智大生殺人放火事件

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