ストーンヘンジの謎|地球ドラマチック

NHKEテレの「地球ドラマチック」で新説!ストーンヘンジの謎が放送されました。イギリス南部にある遺跡ストーンヘンジは長い間深い謎に包まれてきました。しかし、最近になって長年の謎を解くかもしれない発見がありました。ストーンヘンジに眠る人々の物語は1919年に始まりました。その年、イギリスの考古学者ウィリアム・ホーリーの研究チームが発掘調査を行いました。ホーリーたちは遺跡を囲むようにして空けられた多くの穴を発見。そのうちのいくつかには石器時代の人骨がおさめられていました。しかしホーリーたちは人骨をどう扱うべきか判断できず1935年に再び地中に埋めてしまいました。特別な許可を得てロンドン大学ユニバーシティ・カレッジのマイク・パーカー・ピアソンたちは埋められた人骨を掘り起こすことに。しかし骨の状態を期待を裏切るものでした。何人分もの骨がごちゃ混ぜで埋められていたのです。ピアソンたちは約5万個ある人骨を拾い集め研究室に持ち帰り、骨を部位ごとに特定し人数を割り出しました。またピアソンは人骨が見つかった穴の調査も進め重大な発見をしました。ストーンヘンジの中心にはサーセンと呼ばれる巨大な石が円形に並び、その上にリンテルと呼ばれる石が横たわっています。内側にはブルーストーンと呼ばれる比較的小さな石が並んでいます。すべての石は紀元前2500年頃に同時に立てられたと考えられてきましたが、ピアソンは違う説をとなえました。人骨が埋められていた穴の底は下の石灰岩が砕け、非常に重いものによって削られた跡が残っていました。このような穴に巨大な石を垂直に立てると下の石灰岩は砕けて形を失います。つまり人骨が埋められていた穴には、かつて石が立てられていたと考えられるのです。立てられていた石はそれほど厚みがなく薄いもの。ストーンヘンジでこの条件に当てはまるのはブルーストーンだけです。ピアソンの説が正しければ人骨が発見されたのと同様の穴が56個あり、それぞれにブルーストーンが立てられていたことになります。また人骨は石灰で覆われていました。ブルーストーンが置かれたことによって穴の底にある石灰岩が砕け、骨に付着したと考えられます。このことから骨が埋められたのとブルーストーンが立てられたのは同じ時期だとピアソンは推測しています。放射性炭素年代測定でも、ブルーストーンが立てられたのと同じ時期に人骨が埋葬されたことを示しました。しかもその年代は紀元前3000年。遺跡はこれまでの定説よりも500年古いものだったのです。

 

骨の調査から人骨の人数は63人であることが分かりました。ストーンヘンジに埋葬された人々は生前どのような役割をになっていたのでしょうか?ピアソンの一つ目の説は戦いで亡くなった戦士。ストーンヘンジが作られる数百年前、この地域は戦場でした。ストーンヘンジの近くにあるウエストケネット墳丘墓に戦いの痕跡が残されているからです。しかしピアソンにはもう一つ別の説もあります。それはストーンヘンジで人骨の他に杖の残骸や香炉の埋蔵品が見つかったからです。このような杖を持つ人は王のような存在か集会のまとめ役など、何らかの権威や高い身分を持つ人です。宗教や儀式の指導者だった可能性があります。しかし、人骨の科学的分析によって2つの説を共に否定する結果が出ました。根拠となったのは骨の断片から判明した埋葬された人々の性別でした。ストーンヘンジには男性と女性、両方の人骨がおさめられていました。ピアソンによると性別に関係なく埋葬されている場合、骨が宗教的な指導者や戦士のものである可能性は低くなるそうです。つまりストーンヘンジの人骨は戦士でも聖職者のものでもなかったのです。骨の分析が全て終わると、骨は大人の男性と女性に加え、子供も混ざっていました。また埋葬されたのは紀元前3000年~2800年の200年間であることも分かりました。ピアソンはここから埋葬された人々は貴族や上流階級の一族だったと結論を導きだしました。彼らは火葬され骨は地中に埋められました。ブルーストーンを墓石として円を描くように立てられた墓だったとピアソンは考えています。

 

しかし、なぜこの場所に石器時代の人々が埋葬されたのでしょうか?ストーンヘンジがあるのはイギリス南部ソウルズベリー平原の小高い場所。ここを選んだのには何か理由があるはずです。ピアソンはその理由としてストーンヘンジと太陽の配列に注目。夏至や冬至の日には中心の巨大な石と太陽が一直線に並びます。アベニューと呼ばれる道はストーンヘンジに向かうために作られた道だと考えられてきました。しかし実はアベニューはストーンヘンジが出来る前から存在し人工的に作られたものではないことが分かったのです。2本に伸びた土手は氷河期の終わりに溶け出した水が作り出したものではないかとピアソンは考えています。自然の中に出現した2本の直線を見て石器時代の人々は驚いたことでしょう。さらにその直線が指し示す方向は夏至の日の出と夏至の日の入りの方角を指し示していたのです。石器時代の人々にとっては神のお告げのように感じられたことでしょう。石器時代の人々はこの場所を神聖なものと感じ身分の高い人々を葬るのにふさわしい場所だと考えたのかもしれません。場所だけでなく使われた石にも特別な意味がありました。ブルーストーンは流紋岩を加工したものですが、ストーンヘンジの周辺には存在しません。イギリスで流紋岩が産出される場所はストーンヘンジから280km離れたプレセリ山地だけです。

 

ストーンヘンジは身分の高い人々を埋葬する墓地として作られました。そして約500年間当初の形を保っていました。その後、第二の建設が行われました。中央に巨大な石サーセンが立てられたことでストーンヘンジの姿はがらりと変わったのです。合計で2000トンの石が使われました。これまで考古学者たちは巨大な遺跡をどうやって築いたのかという問題に注目してきました。しかしピアソンたちは今回の調査でストーンヘンジにまつわる別の側面に注目。きっかけとなったのはストーンヘンジから3km離れた場所での大発見でした。そこは4500年前の村の跡でダーリントンウォールズと呼ばれています。住居の跡に加え家畜と見られる約8万の動物の骨、建設用の工具、土器などが発掘されました。石器時代のイギリスで最大級の村がストーンヘンジから歩ける距離にあったのは何を意味するのでしょうか?ダーリントンウォールズで発見された家畜の骨を分析したところ興味深い事実がいくつも浮かび上がってきました。骨の分析によって家畜は冬至の頃に処分され食べられたことが分かりました。人々はダーリントンウォールズで1年中暮らしていたのではなく、1年のある特定の時期に家畜を連れて集まってきていたと考えられるのです。大量の家畜が食べられていたのはストーンヘンジで第二の建設が行われていた時期と重なります。ダーリントンウォールズにはストーンヘンジの建設に関わった人々の住居があったと考えられます。そして人々は冬至の頃に大規模な祝宴を開いていたようです。ダーリントンウォールズで発見された何千もの土器の破片から、その様子が明らかになってきました。

 

家畜の骨や土器の破片を調べた結果、ストーンヘンジでの祝宴が突然終わりを向かえダーリントンウォールズから人々がいなくなったことが分かりました。劇的な変化はなぜ起きたのでしょうか?エームスベリの射手と呼ばれる人骨は男性の骨でイギリスにおける埋葬方法の変化を物語っています。エームスベリの射手は火葬されず100以上の副葬品と共に葬られていました。それ以前の死者は火葬され副葬品もなく埋葬されていました。エームスベリの射手はヨーロッパ大陸からイギリスに渡ってきた移民族ビーカー人でした。ビーカー人はそれまでとは違う文明をもたらしイギリスの歴史を大きく変えました。ストーンヘンジでの祝宴がすたれたのもそのためだと考えられます。大陸から伝わってきた金属製品は初めてみる者に大きな衝撃を与えました。イギリスでは何千年もの間、武器や道具の多くは石で作られていました。美しく機能的な金属製品は魔法のように思えたことでしょう。その魅力が石器時代の社会のあり方を大きく変えました。銅や金で出来たものを持つことが地位の象徴となり派手さを見せびらかす新たな文明が始まったのです。ビーカー人がやってきたことでイギリスでは石器時代が終わり青銅器時代の幕があけました。同時にストーンヘンジも徐々に荒廃の道をたどりました。そして巨大な石の遺跡だけが残されたのです。