女子大生誘拐事件|アンビリバボー

フジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」で女子大生誘拐事件について放送されました。斉藤美由紀さん(仮名)は大学の英文科に通う3年生。2年前に母を事故で亡くし教師である父親と弟と3人で暮らしていました。英語が堪能だった彼女は英語の家庭教師のアルバイトを始めようと考え、生徒をつのるために新聞の告知板に家庭教師の案内を載せます。そこには氏名、大学名、住所が掲載。現在に比べ個人情報の入手が制限されていなかった30年前、電話番号も新聞社へ問い合わせれば教えてもらえました。そして告知文を出してから2ヵ月後の1980年12月1日、中学1年生の子供を持つ父親から依頼の電話がかかってきました。翌日、美由紀さんは自宅近くの公衆電話ボックスの前でその父親と待ち合わせをすることに。しかしこれ以降、美由紀さんの消息はぷっつりと途絶えてしまいました。そしてその日の夜、家に「美由紀さんを誘拐した」と電話がかかってきました。電話をとった弟はすぐさま警察に通報。警察はただちに捜査本部を設置。美由紀さんの安全を考えマスコミと協定を結び一切の報道を控えさせました。さらに斉藤家では捜査員と通信技術員が待機。犯人からの電話を録音する準備を進める一方、電話の発信元を特定する逆探知にそなえました。1時間後、2度目の電話がかかってきました。犯人は身代金として3000万円を要求。通話時間が短かったため逆探知は失敗に終わりました。翌日も犯人から数度にわたり電話がかかってきたものの、頼んでも電話口に美由紀さんを出すことはありませんでした。そして、具体的な現金受け渡しの方法が指示されたのは7回目の電話でのことでした。父親とその親族を装った捜査員が犯人の指示した喫茶店へ。しかし犯人は警戒心が強く喫茶店には現れませんでした。そして犯人の指示通り高速道路上にある電話ボックスへ。ところが、指定された電話ボックスを探すのに手間取り現場に到着するのにかなりの時間を要しました。そこには、ここから下に金を落とせと指示されていましたが、美由紀さんの身の安全も分からなかったため犯人からの連絡を待ちました。しかし犯人からの連絡はなく自宅へ引き返すことに。その後も犯人と接触できないまま事件発生から4日目をむかえ28回目の電話を最後に犯人からの連絡は完全に途絶えました。警察は聞き込みなど地道な捜査に頼る他ありませんでした。

 

事件発生から25日後、捜査本部は公開捜査にふみきりました。脅迫電話をかけてきたさいに録音した犯人の声を公開。すると似ている声の人物がいるという通報が入りました。その男が寿司店に勤めているという情報を入手すると、店の得意先に協力を依頼し、電話の声の録音に成功しました。捜査本部はただちに記録された声の声紋を分析。その結果、脅迫電話の声と寿司店の男の声はほぼ一致することが分かりました。この声紋鑑定を決め手に事件発生から50日目、捜査本部は重要参考人として原田孝之(仮名)に任意同行を求めました。原田は取り調べで美由紀さんを誘拐した事実をあっさり認めました。

 

原田は高校を中退後、知り合いの紹介で寿司店に就職。見習いはつらかったものの根が真面目で休みなく働いたと言います。店にはオーナーの娘である清美(仮名)もよく手伝いに来ていました。やがて2人は互いに好意を寄せ合うようになり1974年に結婚。店の近くに新居をかまえ2人の子供にも恵まれました。周囲からは幸せな家族に見えたに違いありません。原田が暮らす家は清美の実家から近いこともあり頻繁に清美の両親が訪ねてきました。次第に原田はのけ者にされたように感じ不満を抱くようになっていったと言います。そして、うとましい存在である義両親から独立するために自らの店を持つことを計画。清美もこれには賛成。しかし清美の父は独立に反対し、清美も父の意見に賛成。この頃から原田は清美に対する愛情が冷めていったと言います。そんな矢先、原田は中学校の同窓会に参加し、そこで再会した女性と深い仲に。やがて2人はアパートを借り、そこを愛の巣としました。入居費用や家財道具は原田が金融業者から借金をしてまかないました。妻の清美には仕事の都合と嘘をいい、頻繁に女性のいるアパートに入り浸るように。しかも毎月の生活費として20万円もの現金を渡していました。しかし、次第に金に困りギャンブルにのめり込むように。気づけば借金の総額は2800万円にまで膨れ上がっていました。そんな時、原田が目にしたのが美由紀さんが新聞に載せた家庭教師の案内でした。さらに以前見た誘拐事件をテーマにした映画を思い出し、美由紀さんの誘拐を思いついたのです。原田は美由紀さんを誘拐した直後、殺し死体を川へ捨てていました。しかし、なぜ殺害する必要があったのでしょうか?その理由について原田は「動機となった映画の中に、犯人が誘拐した子供を親に帰したために逮捕されてしまった事を思い出したから」と答えたと言います。事件から5ヵ月後、美由紀さんの死体は供述通り川で発見されました。その後、原田は逮捕・起訴され1審2審ともに死刑判決を受けましたが、拘置所内で記した手記の中で「元々殺害の意図は無かった」と主張。これを数人の弁護士が支持し減刑を求めました。それでも最高裁は認めず死刑が確定しました。事件から15年後の1995年12月21日、原田の死刑が執行されました。

 

しかし、借金まみれだった原田はなぜ突然一切の連絡を絶ったのでしょうか?原田は脅迫電話をかける一方で妻の清美にも連絡を入れていました。そこで借金の返済を求める電話が自宅に何度もかかっていた事実が発覚。借金の存在を知られたくないがゆえに企てた誘拐でしたが、身代金を得る前に妻にバレてしまったのです。こうなった以上、例え返済が出来たとしても今度はその大金の入手先を疑われるのはあきらかで、もはや逃げ場はありませんでした。そして最後の脅迫電話をかけた後、妻の実家で家族会議が開かれました。原田は不倫のことはだまっていたものの借金については総額から利子、借金元まで全て明かしました。すると清美の父が金は何とかすると言ってくれたのです。原田には身代金を奪う目的がなくなったのです。身勝手な思い込みで未来ある女性の命を奪った罪は限りなく重いです。