松原のぶえが腎不全に…|爆報!THEフライデー

松原のぶえ(まつばらのぶえ)さんは、1961年に大分県の耶馬溪町で生まれました。幼い頃は男勝りの性格で、いじめられがちな弟をいつも気にかけていたと言います。また田舎町でひときわ歌が上手くご近所の人気者でした。

いつしか演歌歌手を目指すようになった松原のぶえさんは、中学生の時にオーディションで北島三郎さんに見初められ17歳で演歌歌手デビュー。その後、紅白歌合戦にも7度出場し、人気演歌歌手へとのぼりつめていきました。

しかし、順風満帆だった松原のぶえさんに恐ろしい病魔が襲いました。

腎不全に…

彼女に腎不全の兆候が現れたのは2001年。腎不全の原因は不摂生やストレスによる腎臓への負担と言われています。当時、松原のぶえさんは離婚により事務所を独立し、多大なストレスを抱えていました。

日焼けをしたような浅黒い肌になり、全身のむくみがひどくなり、疲れやすくなっていました。しかし、どれも加齢によるものだと自分を納得させ1年間も病院に行かず放置。

ところがある日、睡眠中に呼吸困難に。緊急搬送された彼女に下された診断は腎不全でした。腎臓がほぼ機能していない末期の状態でした。

人工透析を受けなくてはならなくなりましたが、松原のぶえさんは個人事務所を設立したばかりだったため人工透析治療を受けませんでした。すると3ヵ月後、赤い斑点が体中に現れ強制的に人工透析を受けることに。

しかし、松原のぶえさんは特殊体質で5時間半の人工透析のうち3時間しか透析が受けられない体質であることが判明。そのため通常3日に1回の透析を松原のぶえさんは2日に1回と分けていかなければなりませんでした。

移植手術

そんな松原のぶえさんに、弟が腎臓の提供を申し出てくれました。6時間におよぶ大手術のすえ、生体腎移植手術は無事に成功しました。

現在、松原のぶえさんは移植した腎臓の拒絶反応を防ぐため免疫抑制の薬を飲みながら細心の注意を払って生活しています。

弟は松原のぶえさんのマネージャーとして働き、多忙な姉の体を案じながら支えています。

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