郭亮村 断崖絶壁の上に住む村人が作ったトンネル|アンビリバボー

中国・河南省の北部に位置する郭亮村は、総面積15k㎡、人口330人。そんな郭亮村の暮らしぶりが最近、世界中から注目を集めるようになりました。

 

きっかけは断崖絶壁。そもそも郭亮村は高さ100mの断崖絶壁の上にあります。しかも、村の背後にも切り立った崖がある陸の孤島です。なぜこのような場所に住んでいるのでしょうか?

 

なぜ崖の上に住むようになったのか?

伝説によると2000年前、戦を逃れ避難してきた人々が命からがら崖を上り、この地に辿り着いたのが始まりだと言います。

 

以来、彼らはこの場所でずっと生活をしてきました。周囲を崖に囲まれているため、他の村との交流もありません。農業を中心とした自給自足の生活を送っています。

 

しかし、問題がないわけではありませんでした。

 

崖の上に住む問題

重症の患者が出た時は下の村に病人を運ぶ必要があり、郭亮村には小学校しかありません。

 

崖の下に下りるには650年前に村のはずれにできた階段(天梯)を下る必要があります。石を720段積んだ階段で手すりもありません。慣れた人でくだりは30~40分、上りは1~2時間かかります。

 

階段を下りても、そこから隣の村まで1時間以上歩かなくてはなりません。足を滑らせ子供が大怪我をしたり、重症の患者も階段でゆっくり下ろすしかなく手遅れになることもありました。

 

天梯があるとはいえ、村人たちはこうした問題に長い間悩み苦しんできました。

 

トンネルを作る!

1971年、一人の男の思いつきが郭亮村の歴史を変えました。彼の名は申明信(シンメイシン)書記。その年の秋、申書記は仕事ででかけた山西省で見た友誼トンネルに衝撃を受けました。

 

友誼トンネルは、河南省と山西省をつなぐ山を掘り抜き道路を通したトンネルです。

 

しかし、それは国家事業として2000人規模の人員を投じた大工事のたまもの。それに対し郭亮村で働き手となる男たちは100人。規模にも資金にも圧倒的な差がありました。

 

それでも村人たちは飼っていた羊と木材を売り、資金を調達。さらに、それぞれが貯えてきた金を出し合いました。その資金をもとに250kgのダイナマイトを用意。そして、村人たちは郭亮村から崖下までの1200mをわずかなダイナマイトと金槌など原始的な道具で掘り抜こうとしました。

 

1972年2月、トンネル掘りがスタート。大きな岩をダイナマイトで破壊し、金槌で少しずつ掘り進めて行きました。しかし、工事はなかなか進みませんでした。この地域の岩盤が非常に固く簡単には崩せなかったからです。

 

しかも、洞窟の大きさの関係で工事に参加できるのは13人。そのため100人の村の男たちは交代制で朝から晩まで、ひたすらトンネルを掘り続けました。

 

しかし、工事開始から2年目、村人から集めた資金も底をついてしまいました。そこで工事に携わる以外の男たちを他の村へ派遣して金を稼がせ、その賃金を工事に回すことにしました。それでも文句を言う村人は一人もいなかったと言います。

 

ところが、工事中に死亡事故が起こってしまいました。村人の誰もがショックと悲しみで気力を失う中、申書記はわずかな村人と共に自ら工事を続けようとしました。

 

しかし、一度恐怖をおぼえた他の村人たちは戻ってきませんでした。1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎた頃、ようやく村人たちが戻ってきて工事は再開されました。

 

郭亮トンネルが完成

そして1977年5月1日、6年の歳月をかけついにトンネルは開通。長さは1250m。トンネルは「郭亮トンネル」と名づけられました。

 

かつて1日がかりだった道も、車なら約2分半でトンネルを抜けることができるようになりました。そして、トンネルの出口の先には麓までの道もできています。これは村人の努力を認めた政府が作り上げたものです。

 

観光客でにぎわうように

トンネルは外の世界との新たな繋がりを作り出し、村に意外な出来事をもたらしました。郭亮村が映画のロケ地となり、映画を通して手付かずの自然と昔のままの生活を送る郭亮村の存在が世界中に広く知られるようになったのです。

 

郭亮村は2000年前の風情を残す秘境として話題になり、観光客でにぎわうようになりました。

 

最初にトンネルを掘ることを思いつき村のために奔走した申明信書記は、トンネルの開通を見届けた後1984年にこの世を去りました。しかし、その功績は今も確実に後世へと伝えられています。

 

「奇跡体験!アンビリバボー」
断崖絶壁の上に住む村人

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