ジョン・ウェイン・ゲイシー 33人を殺害した殺人ピエロ|実録FBIプロファイラー

テレビ朝日の「実録FBIプロファイラー」でジョン・ウェイン・ゲイシーについて放送されました。アメリカ・イリノイ州シカゴで1972~1978年にかけて青少年の行方不明者が多発。行方不明者の多くはジョン・ウェイン・ゲイシーが経営する会社の従業員でした。彼の会社は従業員700人を超える建設会社。失業中の若者や低学歴で定職に就けない若者を積極的に雇用し、支援することで知られた地元の人気企業でした。行方不明者の多くはジョン・ウェイン・ゲイシーが経営する会社の社員やアルバイトたち。この時点で警察や世間が描いた犯人像はゲイシーの会社の従業員でした。ゲイシー本人は政治家を目指し青年会議所でも指導的な立場にある地元の名士だったため、彼を犯人だと思う者はいませんでした。

 

そしてジョン・ウェイン・ゲイシーにはもう一つの顔もありました。ピエロに扮して小児病棟や養護施設をまわるチャリティー活動に力を入れ、地域から絶大な信頼を得ていたのです。ピエロのポゴは街中の子供たちの人気者でした。ポゴになりきるためゲイシーはピエロの正式な資格も取得。ポゴの最も得意とするのは手錠のマジック。実はこのマジックは獲物をおびき寄せる殺しのトリックでもありました。しかし、それを知らない人々にとって地位と名誉を併せ持つジョン・ウェイン・ゲイシーは憧れの存在でした。

 

ほとんどのシリアルキラーは好みに合った特定のタイプを狙います。ジョン・ウェイン・ゲイシーの理想のタイプは15歳~25歳の若い男性で、その中からターゲットを探していました。若い獲物をおびき寄せることは人気企業の社長であるゲイシーにとってたやすいことでした。ゲイシーは面接の後、契約の話をしながらお祝いの酒をすすめ、酔ってふらふらになったところでピエロのポゴに扮し、いつも通り手錠のマジックを披露。そして相手に「手錠のマジックができたら100ドルあげる」と言います。ここで断れば殺人ピエロから逃げることができました。実際に数人の若者が魔の手から生き延びています。しかし、ここで手錠マジックに挑戦すると手錠は全く外れません。そしてロープを首にかけ、ロープの端に棒をまきつけギリギリと回しながらしめていきました。この手口には相手の苦しむ姿を見るという目的がありました。青年の首を絞め、ほとんど意識がなくなる寸前にロープを緩め意識を戻させ、それを何度も繰り返すことでゲイシーは快楽を得ていたのです。

 

しかし、結婚して妻子もいたゲイシーは、いかにして家族に知られることなく33件の殺人事件を繰り返したのでしょうか?しかしゲイシーにとって同居している妻を騙すことくらい容易いことでした。彼は自宅の床下に遺体を埋め誰にも疑われることなく殺害を繰り返しました。しかし、家庭に腐乱臭という大きな問題が浮上。死体が眠る床下から悪臭が家の中に充満し、妻も子も食事が喉を通らなくなっていました。死体の腐乱臭は独特で、嗅いだことがない者には何のニオイか想像がつきません。しかし、このままでは家族や周辺住民に怪しまれると、ゲイシーは腐敗を加速させるため石灰をまき、その上をセメントで固めました。ところが数ヵ月後、ついに妻は離婚を決意し子供を連れて出て行きました。それはむしろゲイシーにとって歓迎すべきことでした。次々に殺しても誰にも気づかれることなく死体を捨てられるからです。1日に2人殺害することもあったと言います。しかし、依然として地元警察に追求されることはありませんでした。

 

ロバート・ピースト(15歳)は行方不明になる前、母親に「バイトの面接でゲイシーの所に行ってくる」と言っていました。これにより刑事ジョー・コゼンチャックはジョン・ウェイン・ゲイシーに的を絞りました。この頃には異臭が家の外にまであふれ、床下の空気穴からはヘドロのようなものが流れ出ていました。警察は家宅捜索礼状をとりゲイシーの自宅に踏み込みました。そして床下から29体もの白骨遺体が発見されました。埋めるスペースさえなくなり、最後の被害者ロバートを含む4人の遺体は近くの川へ投げ捨てられていました。被害者の遺体を掘り返すために、ほとんどの床板がはがされ家宅捜索が終わった時には屋根と外壁しか残っていませんでした。そしてついに殺人ピエロ、ジョン・ウェイン・ゲイシーは逮捕されました。33人もの青年を殺したゲイシーには死刑判決が下されました。

 

しかし、ゲイシーは自らの財力と知恵をいかし何度も上告を重ね、死刑執行を先延ばしし優雅な生活を送っていました。市民は死刑執行を訴えるデモを続けました。一方、連続殺人鬼に興味を持つ者も多くいました。FBI行動科学科のプロファイラーを目指す大学生ジェイソン・モス(18歳)もゲイシーに興味を持った一人でした。ジェイソン・モスは勉強の一環でゲイシーの事件を調べていくうちに彼の虜になっていき手紙を送り続けました。ゲイシーには全米から多い時で週に100通もの手紙が寄せられ、中には熱狂的な信者さえいました。自分は特別な人間だと思い込むようになったゲイシーは、牢獄の中で殺人オーディションを行いました。多くのファンレターの中から自分が殺すに値する若者を探そうとしていたのです。そしてゲイシーは手紙の返事に「誰も私が○○だとは知りません。この空欄を埋めよ」という質問を書きました。ジェイソン・モスはゲイシーが自分の好みに合う人物を探しているテストだと直感。自信満々の答えと共に自分の写真を送りました。ゲイシーのもとには殺人オーディションに対する答えが数多く届いていましたが、殺人ピエロを満足させる答えはなかなかありませんでした。そんな中ジェイソンの「誰も私が金儲けのためにヌード・ダンサーになることを考えているのだとは知りません」という無力で弱い立場の青年を表現する答えが届きました。これがゲイシーの殺意に火をつけました。そしてジェイソンはゲイシーの待つメナード矯正センターへ。ゲイシーは監視カメラの死角になる2人きりの部屋へジェイソンを連れていきました。ゲイシーは金で看守を買収していたのです。ジェイソンは殺されそうになりましたが、間一髪看守が飛び込んできたため助かりました。実は2人が部屋に入っていくのを他の囚人が見ていたのです。

 

そしてジェイソンが面会に行った1ヵ月後、1994年5月10日にジョン・ウェイン・ゲイシーは薬物注射による死刑が執行されました。通常、注射後7分で死亡するはずがゲイシーは20分、苦しみぬいて絶命したと言います。担当検事は「被害者が受けた苦痛に比べればゲイシーの苦しみなど大したことはない」とコメントしました。一方ジェイソンはその後、プロファイラーの夢を捨て弁護士として活躍していましたが、銃で自殺。結局34人目の被害者となってしまったのです。

 

ジョン・ウェイン・ゲイシーの幼少期

ジョン・ウェイン・ゲイシーは上に2人の姉がいて、ようやく生まれた男の子でした。父ジョン・スタンリー・ゲイシーは強い男になるようにと彼を理想の映画俳優と同じジョン・ウェインと名づけました。しかし、そんな彼の心に闇を落としたのは弱い男を認めない厳格な父の存在でした。生まれつき心臓病を患うゲイシーを出来損ないと罵る父。父は酒に溺れ、いつも怒鳴っていました。しかし、ゲイシーはどんなに虐待されても父のことが大好きだったと言います。父に認めてもらうことが何よりも目標で、いつか父と笑顔で向き合える日を夢見ていました。そのうちゲイシーは自分を守るための嘘や言い訳がうまくなっていきました。大人になり仕事を始め父に認めてもらえると思った矢先、父は肝硬変でこの世を去ってしまいました。父に認められたいという願いは果たせぬ夢と消えたのです。子供の頃、被害者だった彼は自分を支配していた父が亡くなった時点で立場が逆転し、加害者になりました。そして地位と名誉を手に入れたゲイシーに虐待を司る殺人ピエロという人格が形成されたのです。