ツタンカーメンの呪いの真相|幻解!超常ファイル

NHK総合テレビの「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー」でツタンカーメンの呪い~連続怪死の真犯人は?~が放送されました。1922年11月、古代エジプト王朝のファラオであるツタンカーメンの墳墓の入り口が発見されました。王家の谷のファラオの墓は、すでにほとんどが暴かれてしまっており、いまだ盗掘されていない墓の発見は画期的でした。墓の内部へと入った調査団が目にしたのは700点もの豪華な副葬品。黄金輝く品々は古代エジプト王朝の繁栄をうかがわせる財宝でした。調査団は1923年2月まで、財宝を外へ運びだしました。発掘隊のリーダー、イギリスの考古学者ハワード・カーターと、そのスポンサーであるカーナボン卿は一躍時の人となりました。そして1923年2月17日、棺をおさめた巨大な厨子が発見されました。しかし、3月下旬カーナボン卿が敗血症を発病。そして4月4日の夜、数分間の停電の後にカーナボン卿は亡くなりました。これは不吉な噂として世界中に広まりました。またカーナボン卿の遺体を乗せた船が呪いで沈没するのではないかとの噂が広まり、乗客が相次いでキャンセルしたり、エジプト美術の収集家たちが呪いを恐れコレクションを博物館に寄贈したいと殺到する騒ぎまで起こりました。実はツタンカーメンの墓には墓を暴くものを呪うような言葉は残されていません。呪いの噂の出所は別の墓なのではないかと専門家は言います。

 

カーナボン卿の死により墓の発掘は一時的に中断されました。ところが半年後の9月、カーナボン卿の弟が亡くなりました。彼は王の墓に入ったことはなかったものの発掘は家族にも不幸をもたらすのではないかと不安がっていたと言います。さらに4ヵ月後、ツタンカーメンのミイラを調査することになっていたX線技師アーチボルド・リード卿が渡航直前に死亡。1925年1月、発掘作業は本格的に再開されました。厨子を解体して現れたのは人型の棺。ツタンカーメンの遺体の顔には黄金のマスクがかぶせられていました。その後も王墓の研究者や、ハワード・カーターの元秘書やその父親など呪いの犠牲者は20人を超えたと言います。

 

ツタンカーメン 呪いの真実

メトロポリタン美術館で発掘開始から12年後の1934年に呪いの謎解きがなされました。当時館長をつとめていたハーバート・ウィンロックはツタンカーメンの棺の調査に立ち会うなど現場を知る当事者として検証結果を新聞に公表しました。それによると、最初の犠牲者とされるカーナボン卿は元々重大な手術を2度も受けるほど大きな病気を患い健康とは程遠い状態だったそうです。最初に墓の入り口を発見したとき現場には40人程いましたが、カーナボン卿以外は全員健在。財宝があった前室に入ったのは22人。その現場にいた人で死亡したのはカーナボン卿を含め5人。王の棺を開けたのは22人で、そのうち死亡したのは2人。ミイラの包帯をはがす現場にいた10人は全員健在です。死亡した6人の健康状態を調べると長年病気を患っている人や年齢が高い人が大半を占めていました。他の数十人の場合は調査団とランチをしただけで関係者とみなされたり、発掘とは無縁の殺人事件までエジプトで起きたというだけで呪いに数えられたりしています。さらにウィンロックは呪いの真犯人として「ロンドンタイムズに良い感情を持っていない記者たち」をあげています。当時、ロンドン・タイムズはツタンカーメンの墓の発掘について独占取材する権利を持っていました。他の新聞社は不満を持ち別の角度から面白おかしい記事を書こうとしていたのです。ロンドン・タイムズの独占取材は、その経営にカーナボン卿の親戚が関わっていたからだと言われています。人類史に刻まれるはずの発見が情実がらみで捻じ曲げられたととらえる新聞記者も少なくありませんでした。発掘現場では直接取材ができない記者たちの中に、カーナボン卿への恨みが渦巻いていたのです。そのさなかカーナボン卿が病気で死亡。これを各紙は呪いと結びつけ特ダネとすることでロンドン・タイムズに対抗。その後もあらゆる人物の不幸を呪いのスクープ記事として掲載し続けたのです。

 

また発掘現場では異なる恨みや憎しみも渦巻いていました。エジプトの偉大なファラオが眠る墓を外国人が暴くことは死者を冒涜しているというもの。発掘している人やマスコミも死者を冒涜しているといううしろめたさを感じていたのかもしれません。ツタンカーメンの呪いは憎しみや妬み、後ろめたさから広まった噂が人々の心を縛り続けることで生まれたものでした。その呪縛は2004年、ファラオの呪いが蘇ったかのようなニュースとなってインターネットをかけめぐりました。エジプトの考古学関係者に南アフリアの匿名の女性から「呪いの苦しみから救って欲しい」という手紙が届いたのです。彼女はツタンカーメンの指輪を親戚の女性から受け継いで持っているため、家族を失い自身も病気になってしまったというのです。そのため指輪をエジプトに返還したいと考えていると言います。しかし、指輪はツタンカーメンとは関係がないものと判明。その後、女性が呪いから開放されたかどうかは不明です。実際には存在しない呪いを人々が恐れる限り、呪いの鎖は永遠に私たちを縛り続けるのかもしれません。