クロード・モネ「草上の昼食」|美の巨人たち

テレビ東京の「美の巨人たち」でクロード・モネ「草上の昼食」について放送されました。「草上の昼食」は本来、縦4m幅6mもあった巨大な作品です。しかし切断された部分はもう残されていません。描かれているのは森で優雅にランチを楽しむ紳士と淑女たち。当時パリに暮らす人々の間で流行していたのが郊外の森でのピクニックでした。真っ白なクロスの上にはワインとご馳走が並んでいます。画面に華やかさをそえているのが女性たちのドレス。流行の服を身にまとったモデルたちは、何と実物大で描かれています。そのモデルの一人が画家仲間のフレデリック・バジールです。精神的にも経済的にもモネを支援し続けた親友です。そしてもう一人、モネの恋人カミーユ・ドンシューは無名時代のモネを献身的に支え、後に妻となりました。クロード・モネが「草上の昼食」を描いたのは24歳~25歳にかけて。貧しい生活から抜け出そうと、若き芸術家はこの作品に情熱のすべてを注ぎ込んでいたのです。

 

フランスではサロンと呼ばれる芸術品評会が毎年開催され、当時画家として世に出るためにはサロンでの入選が必須でした。クロード・モネは24歳の時に初の入選を果たし、2つの作品が当時に選ばれるという快挙を果たしました。出品したのは幼少時代をすごした海辺の風景画でした。その喜びに背中を押され、翌年のサロンの出品を決意。ところが若き画家は、それまでとは画風を一新させました。それが「草上の昼食」でした。前回のような風景画ではなく、あえて人物を。しかも桁外れに大きな画面に描くという途方もない挑戦でした。本来の大きさは幅6mで間違いなくモネの代表作になるはずでした。しかし、その半分を失ってしまったのです。実は無残な形に切ったのはモネ自身です。

 

「草上の昼食」と聞いて思い出すのはエドゥアール・マネの作品ではないでしょうか。描かれたのはマネの作品が先です。マネの「草上の昼食」は波乱を呼んでいました。ピクニックの場面に唐突に描かれた裸体の女性。これがパリ中の大スキャンダルとなっていたのです。当然、この騒動をモネも知っていたはずです。それなのになぜ、あえて同じ題材を選んだのでしょうか?

 

クロード・モネはフランスのル・アーヴルで5~18歳まで暮らしていました。この頃、モネがよく描いていたのが街の人たちの似顔絵。画材屋の店先に並べてもらっては、ちょっとした小遣い稼ぎにしていました。その腕前に関心を持ったのが画家のウジェーヌ・ブーダンです。彼は外光派と呼ばれ、当時としては珍しい戸外で絵を制作する画家でした。モネはブーダンに誘われ初めて戸外で絵を制作。ブーダンが追い求めていたのはアトリエでは決して再生できないもの。刻々と変化していく自然です。本格的に絵を学ぶ決意をしたモネは19歳でパリの画塾へ。そこで出会ったのがフレデリック・バジールでした。2人はそろって戸外での制作に励みます。生活が苦しいモネのためにバジールが画材を提供することもありました。

 

モネが「草上の昼食」の女性を描く時に参考にしていたのが当時の流行のファッションを紹介する版画、今で言うファッション雑誌のようなものです。モネが流行にこだわったのには理由がありました。詩人のシャルル・ボードレールは芸術家たちに「自分たちが生きている今の時代精神を文学や作品に取り込むべきだ」と主張しました。それには時代を反映しやすいファッションこそがふさわしいのだと。この考えに触発されてモネは作品の中に最新のファッションを描くことにこだわったのです。最新のファッションを描くことでモネはキャンバスに時代の空気を表現していたのです。そしてもう一つこだわったのが光を描くこと。刻々と変化する目の前の光を、どうすればキャンバスの上で再現できるのか。10代から戸外での制作を続けてきたモネは「草上の昼食」でひたすら模索していました。

 

「草上の昼食」の切り取られてしまった部分には一体何が描かれていたのでしょうか?その手がかりとなるのがモネが描いた油彩画の習作です。習作の段階では画面の中央に座っているのは若い男性でしたが、本画になると髭をたくわえた中年男性に描きかえられています。この男性はギュスターヴ・クールベに似ています。モネは尊敬する偉大な画家を「草上の昼食」に描きこんでいたのです。クールベと言えば幅6mを超える「オルナンの埋葬」をはじめ、巨大な画面に等身大の群衆を描くことを得意とした画家です。歴史や宗教をテーマにした絵画が主流だった時代に、名もなき市井の人々をまるで英雄のように描いたクールベの作品はパリの画壇で物議をかもしました。この革新的な作品に触発されたのが若手画家たち。当時24歳のモネもその一人でした。実は「草上の昼食」はクールベへのオマージュでもあったのです。尊敬する偉大な先輩画家たちの背中をおい全力を注いだ作品です。しかし、よく見ると描きかけです。「草上の昼食」は未完成だったのです。結局モネはサロンへの出品を断念。モネがサロンへの出品をあきらめた理由はクールベから批判されたからだと言われていますが、具体的に何を言われたか記録は残っていません。おそらくモネ自身も「草上の昼食」がサロンに出品するほどの完成度にはいたっていないと判断したのでしょう。その後、「草上の昼食」は未払いの家賃の代わりに大家に没収され、長い間日の目を見ることはありませんでした。しかしモネは刻々と変化する光をとらえることができたと手ごたえを感じていました。

 

この絵の重要さを一番分かっていたのは病の床にあった妻のカミーユでした。カミーユと「草上の昼食」を取り戻すと約束したモネは妻の死から5年後に約束を果たしました。しかし、「草上の昼食」は地下の倉庫に放置されていたため湿気でカビだらけになっていました。大切な作品を残すために切るしかなかったのです。モネが残した最も不完全な作品は画家にとっても芸術の歴史にとっても重要な作品となりました。