ワンダリード 余命10年の少年と家族の絆 笛に込められた想い|アンビリバボー

静岡県浜松市にある「舘山寺サゴーロイヤルホテル」の売店に風変りな笛が売られています。ワンダリードです。プラスチック製の笛で、このホテルでしか売っていないものだと言います。

ワンダリードはあまり売れないそうですが、ずっと置かれ続けています。そこには支配人が伝え続けたいと願う今は亡き少年の想い、そして家族の想いがありました。

余命10年の少年と家族の絆

茨城県で暮らしていた中山直己さん知子さん夫妻は、たーぼうの愛称で可愛がられた長男・卓也(たくや)を筆頭に、二男・英己(ひでき)、長女・明子(あきこ)と3人の子供に恵まれ何不自由ない幸せな毎日を過ごしていました。

1974年のある日、卓也(4歳)がよく転ぶようになり大学病院で検査を受けることにしました。卓也は筋ジストロフィーでした。

筋ジストロフィーとは筋肉の成長に不可欠なたんぱく質に異常が起こることで全身の筋肉が徐々に衰え、運動ができなくなる難病

卓也は余命10年を宣告されました。治療法がないため入院はせず自宅で生活を続けました。両親は小学校に入学しても病名は告げず、他の子と同じように学校に通わせました。

しかし1980年、指先の筋肉が落ちモノが掴みにくくなり足の筋力も低下しうまく歩けなくなってしまいました。そのため車椅子生活へ。さらに、一人ではトイレも困難になり養護学級で学ぶことになりました。

両親は病気について初めて卓也に伝えました。養護学級に異動したさい、学校側から病気のことが伝えられていましたがクラスが変わっても友達は卓也を気にかけてくれました。卓也の卒業文集にはこんな言葉が書かれています。

一番楽しかったのは、塩先生に車いすを押してもらってみんなと持久走大会に出られたことです。それに、たくさんの友達が、ぼくの車いすを押してくれました。先生方、友達のみなさん、お世話になって本当にありがとうございます。

小学校を卒業した卓也は、少しずつできないことが増えていったため養護学校へ進学しました。弟と妹はその時初めて病名を知らされました。休日には家族で出かけ、いろいろな思い出を作っていった中山一家。そんな中、家族みんなで夢中になれるものがありました。楽器演奏です。

実は両親の出会いは大学の軽音楽部。結婚後も自宅でよく演奏しており、子供たちも楽器に触れていました。しかし、卓也は指先に力が入らず複雑な楽器を弾くことはできませんでした。扱えるのは腕だけで演奏できる打楽器だけ。卓也が演奏していたのはキューバ発祥の打楽器ボンゴ。ボンゴの虜になりました。そして、卓也が12歳の時、中山家でファミリーバンドを結成。バンド名は「ファニーボンゴ」いつも卓也が面白そうにボンゴを演奏していることから父・直己が名付けました。

しかし、病が進行すればいずれ打楽器さえ演奏できなくなるかもしれません。そんな中、父は約1年かけ口だけで吹ける笛「ワンダリード」を開発しました。強く噛めは高音、弱く噛めば低音、唇の動きだけでメロディーが奏でられるのです。こうしてワンダリードを手に入れた卓也は毎日練習を続けました。

すると、ワンダリードは広めたらどうかという声が増えてきました。そこで、ワンダリードを沢山作り販売してみることにしました。すると、新聞がとりあげ、徐々に世間に広まっていきました。これをきっかけに「ファニーボンゴ」はあるイベントに招待されました。それは1984年の仙台で行われた「われら人間コンサート」です。様々な障害に苦しみながらも音楽を愛する人たちが演奏を披露するという音楽会でした。

余命宣告から10年、卓也の筋肉の衰えは心臓にまでおよび、治療は通院から入院に切り替えられました。

入院から1か月後の1984年12月31日、卓也は一時帰宅が認められ自宅で家族と共に年を越せることになりました。1月2日までの3日間だけでした。そして1985年2月12日、両親に見守られながら卓也は静かに息を引き取りました。享年14。

病室の枕元にはいつもワンダリードが置かれていました。そして亡くなる直前には、父がカセットテープで「もしも明日が…。」を流してあげると音楽に合わせて口を動かして吹こうとしていたそうです。

生前、卓也は両親にこんなことを話していました。

手が動く
足が動く
目が見える
耳が聞こえる
自分の頭で考える事ができる
当たり前なんかじゃないよね
奇跡だよね

自転車に乗ったり
かけっこしたり
ピアノが弾けたり
それができるなんてすごい事だよね

でもみんな当たり前だと思っているよ
当たり前だと思うから欲張りになっちゃうんだ
すごい事だよね

卓也の死後もファニーボンゴは活動を続けました。ライブ会場のほとんどは障害者施設や盲学校でした。

その後、英己さんが独立し明子さんは結婚。みんなで演奏することはなくなりましたが、直己さんは仕事の合間をみつけ今なお老人ホームやホテルなどでライブを行っています。そのさいには必ずワンダリードを演奏しています。

実は、ワンダリードを唯一おいている舘山寺サゴーロイヤルホテルも12年前に直己さんが演奏したことが販売のきっかけだったと言います。

中山さんがこのホテルで演奏した時、是非この笛を売店で売らせてくださいとその場で申し出て、この笛はこれからもずっとこの売店で販売し続けたいと思っています。

(総支配人 伊藤修さん)

「奇跡体験!アンビリバボー」
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