ドライエイジングで赤毛牛を復活させる!|夢の扉+

和牛の代名詞はおなじみ黒毛和牛。サシの入った霜降り肉は舌の上でトロリ。一方、サシが少なく赤身中心なのが赤毛の牛。実は今、黒毛人気におされ絶滅の危機に瀕しています。

そんな赤毛の牛を救おうと立ち上がったのが農産物流通コンサルタントの山本謙治(やまもとけんじ)さん、通称やまけんです。

山本謙治さんは地方に眠る優れた食を探し出し生産者や消費者、流通を結びつけるのが仕事です。また自らうまいものを取材しては10年続けているブログや有名雑誌などに掲載しています。

4年前、山本謙治さんは高知県の畜産関係の部署から「地元伝統の和牛をPRしたい」と依頼を受けました。その和牛というのが「土佐あかうし」です。和牛といえば主役は全国で飼育されている黒毛和牛。一方、毛が茶褐色で赤身の肉が中心の赤毛の牛も日本伝統の牛です。ところが、その数はどんどん減少し、いまや和牛全体の2%にすぎません。

赤毛牛が絶滅寸前の危機に追い込まれているのは何故でしょうか?松坂牛や神戸牛など霜降りが自慢の黒毛は人気があり高く売れます。一方、サシの入りにくい赤身が中心の赤毛は人気がなく育てる農家が減り続けたからです。

土佐あかうしの復活を託された山本謙治さんは、以前から赤毛の牛に対し特別な思いを抱いていました。理由はにあります。赤身肉がうりの赤毛は牧草や自家栽培した麦や藁など粗飼料中心で育てられることが多いです。一方、霜降りがうりの黒毛はその多くが栄養価の高いトウモロコシや大麦など輸入穀物で育てられています。日本伝統の牛を日本の恵みで守りたい、それが山本謙治さんの想いです。

岩手県二戸市にも赤身肉の牛がいます。広大な牧草地に放たれている岩手・短角牛(たんかくぎゅう)は山本謙治さんが理想とする和牛の姿です。ここの姿勢に惚れ込み山本謙治さんは一頭の牛のオーナーにもなったほど。しかし、牛の評価は土佐あかうしよりも下。苦労を重ねても儲からないのです。生産農家はそれでも伝統の牛を我慢強く育てています。

赤毛の牛を、生産者を救いたいと山本謙治さんは赤身肉の良さを知ってもらうイベント「赤肉サミット」を仕掛けました。有名シェフや生産農家を集め全国の赤身肉をPRする催しを3年続けて実施。結果、赤身肉を扱うレストランは少しずつ増え生産農家も手ごたえを感じ始めています。

赤毛の牛の価値をさらに高めたいと山本謙治さんが次に挑んだのがドライエイジング。肉の味を一変させる魔法の熟成法です。

その仕組みは一定の温度と湿度に保った冷蔵庫の中に生肉を入れ風を当て続けます。やがて肉の表面に菌が付着してカビが生え、それが肉の内部に作用して肉質を変えていきます。40~60日経つと旨味のもととなるアミノ酸が倍増。芳醇の香りも併せ持つ全く別物の肉へと大変貌を遂げるのです。山本謙治さんはこのドライエイジングが赤毛牛の復活の秘密兵器と考えました。

アメリカの高級店ではドライエイジングビーフが人気を呼んでいます。山本謙治さんたちは視察に訪れました。ところが、アメリカの業者から「牛肉の歴史が浅い日本でドライエイジングは出来ない」と言われてしまいました。山本謙治さんは奮い立ちアメリカに負けないドライエイジングを絶対に日本で完成させると思ったそうです。

山本謙治さんは生肉業者と共にドライエイジングに挑みました。当初はカビの作用すら働かず肉を腐らせてしまうなど失敗の連続でした。ある時は全く違う菌がついてしまい1000人分の肉をダメにしたことも。それでも諦めるわけにはいきませんでした。

山本謙治さんが食に興味を持ち始めたのは思春期の頃でした。ごく普通のサラリーマン家庭に生まれ、自由な教育で知られる「自由の森学園高校」に入学。そこで農業の楽しさを知りました。慶應義塾大学に入学し「畑サークル」を立ち上げ、やがて大好きな食の世界をもっと良くしたいという大志を抱くように。社会全体が良くなる食に一生を捧げる覚悟をしました。だからこそ報われない生産農家を笑顔にしたい、そのためのドライエイジングです。

ドライエイジングに挑んで2年、ついに本場に勝るとも劣らない熟成を確立させました。成功の鍵は牛の育て方にありました。自家製の麦や藁など租飼料中心に育った赤身肉が劇的な変貌を遂げることが分かりました。

2013年7月、山本謙治さんは土佐あかうしの競り市場で歴史的瞬間を目撃しました。競り市場でかつて20万円ほどだった赤毛の評価は最高で47万円にまで上昇。黒毛和牛の平均である41万円を抜いた奇跡の瞬間でした。その後、平均価格でも土佐あかうしが黒毛和牛を上回ったことが判明。まさに赤毛牛復活元年となったのです。

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