盛田幸妃の残された妻は今…|爆報!THEフライデー

盛田幸妃(もりたこうき)さんは横浜で佐々木主浩さんと共にWストッパーとして活躍し、年俸9000万円と言われた大スターです。

そんな彼の妻は元キャンギャル、そしてJALにつとめたキャビンアテンダントの倫子(ともこ)さんです。イケメンピッチャーと美人CAという誰もがうらやむセレブカップルでした。

しかし、盛田幸妃さんが脳腫瘍を発症し、結婚生活は10年近くにわたる闘病の日々でした。

倫子さんは1967年、兵庫県神戸市に生まれました。大学在学中に自動車メーカーのキャンペーンガールに。そして卒業後JALの国際線CAとして世界中を飛び回っていました。

そんな倫子さんが盛田幸妃さんと出会ったのは1992年。盛田幸妃さんは当時の横浜大洋ホエールズで中継ぎ投手として大活躍していました。そして2人は3年の交際を経て結婚。倫子さんは2歳年上の姉さん女房として盛田幸妃さんを支えることを決意しました。

1998年、盛田幸妃さんは近鉄バファローズに移籍し、開幕から大活躍していました。しかし、盛田幸妃さんの脳腫瘍が判明。頭部を開き腫瘍を取り除く手術を受けました。手術は成功しましたが、右腕はうまく動かなくなってしまいました。

倫子さんは盛田幸妃さんを励まし、リハビリを促しました。盛田幸妃さんは次第にリハビリに取り組むようになり、手術から1年後にマウンドに復帰しました。

プロ復帰から3年、盛田幸妃さんは惜しまれつつ現役を引退しました。ラジオなどで野球解説者をつとめながら第二の人生について考え始めていました。

しかし2005年、脳腫瘍が再発してしまいました。再び腫瘍摘出の手術を受け、リハビリを繰り返しました。ようやく体が回復してきたとき、再々発が判明。また手術を受けリハビリを行いましたが3度目の再発。さらに腫瘍は骨にまで転移してしまいました。日常生活の何気ない動作で右腕を骨折。さらに腰の骨を骨折。左腕、右足も骨折しました。全身へ転移した腫瘍が骨を蝕み次々と骨折を引き起こしていたのです。

2014年7月、肝臓への転移が判明。もはや手術や放射線などの治療を施せない状態でした。そして2015年10月16日、盛田幸妃さんは亡くなりました。

夫の死後、悲しみから立ち直れず日々を過ごしていた倫子さんですが、遺品の中から一冊のノートを見つけました。そこには居酒屋の開店計画が書かれていました。それは倫子さんと第二の人生を歩むための夢でした。ボロボロになりながらも盛田幸妃さんは常に倫子さんを想い2人の未来を諦めていなかったのです。

さらに末尾には「大変とは、大きく変える、変わるチャンスがある」と書かれていました。どんなに大変なことがあっても最後まで決してあきらめることなく闘った男の言葉でした。この言葉が悲しみに暮れていた倫子さんを再び前を向かせました。

倫子さんには今夢があります。それは2020年の東京五輪でアスリートを支えること。そのため英会話教室に通い始めたそうです。

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残された妻は今…

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