伊藤若沖「釈迦三尊像」「動植綵絵」|美の巨人たち

テレビ東京の「美の巨人たち」で伊藤若沖の釈迦三尊像・動植綵絵についが放送されました。伊藤若沖(いとうじゃくちゅう)が生まれたのは1716年の京都。錦市場の一角にあった青物問屋の長男として生まれましたが、商いが嫌いなうえ跡取りなのに妻をめとらず40歳で家督を弟に譲って隠居してしまいました。そして本格的に取り組んだのがほとんど独学で始めた絵の道。3年後、前代未聞の花鳥画の制作に挑んだのです。

 

「釈迦三尊像」

中央にかけられるのは釈迦如来像。鮮やかな色彩を重ね強烈なコントラストをつけて描かれています。右側には青い獅子に乗った文殊菩薩像。左側の普賢菩薩像は真っ白な象の上に乗っています。

 

「動植綵絵」

極上の絹地に描かれています。綵絵の綵という字には美しい彩りという意味があります。描かれているのはごく身近にいる生き物たちです。30のうち半数以上は鳥です。中でも最も多いのがニワトリです。ニワトリの他にはスズメや雁などの野鳥たちも。

 

「釈迦三尊像」と「動植綵絵」は若沖が相国寺に寄進するために描いたものです。「釈迦三尊像」は元の仏画を鮮やかな色彩で模写したものです。さらに、その周囲を飾り立てるために描いたのが「動植綵絵」でした。

若沖の絵師としての執念なのか作品は驚くほどリアルで、過剰なまでの緻密さです。しんしんと降りしきる雪でさえも生き物のようです。アジサイの花びらの輪郭線のようにみえる部分には絵具が塗られていません。没骨法(もっこつほう)と呼ばれる技法で、余白で輪郭を表すもの。花びらの隙間は1mm程です。肉眼で分かるか分からないか、若沖の繊細さは尋常ではありません。若沖は膨大な下図を繰り返し描き途方もない手間と時間をかけることで絵を完成させました。

 

現在、「動植綵絵」は宮内庁三の丸尚蔵館にあります。実は1999年から6年間に及ぶ修復調査が行われ衝撃の事実が次々と明らかになったのです。成分検査によってスズメの目から多くの鉄分が検出され、黒漆を使っていた可能性を裏付けました。さらに白い鳥の金色に光る羽にも秘密が。使ったのは金ではなく黄土でした。黄土を絵絹の表ではなく裏に彩色。こうすることで光沢のある絵絹と表面に塗られた胡粉を通すことによって金色に輝いてみえるのです。その輝きが羽の光沢と柔らかな質感を見事に生み出しました。さらに美しい羽をより際立たせるため、絵絹を裏打ちする紙も薄墨で染めていたことが分かりました。

 

裏に仕掛けを施し色を巧みに操った若沖は、絵具そのものに対しても妥協はしませんでした。費用を一切おしまず、発色に優れた色あせない上質なものを求めました。当時おそらく最も苦労して手に入れたのが群魚図に描かれたルリハタに塗られた絵具です。この濃い藍色はプルシャンブルーという西洋の顔料でした。1704年にドイツで初めて作られたプルシャンブルーが日本で広まったのは19世紀以降です。葛飾北斎のこの神秘的な藍色の虜に。これまで日本で最初に使われたのは1770年代前半とされていました。しかし、若沖はそれよりも10年近く前に使用していたのです。西洋の新しい絵具プルシャンブルーは当時驚くほど高価でした。若沖の真の狙いは永久普遍な美を描くこと。だからこそ変色しない絵具にこだわったのです。若沖はこの作品に強い願いを込めていました。

「世間に画名を広めたいといった軽薄な志で描いたのではありません。全てを相国寺に喜捨し荘厳の具となり永久に伝えられることが望みです」(若沖の寄進状より)

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