門倉有希監禁事件 犯人は彼氏…束縛・DV|爆報!THEフライデー

門倉有希(かどくらゆき)さんの代表曲といえば、1998年に発売した「ノラ」です。恋人に翻弄される女の心情と捨てられた野良猫の姿を重ね合わせた「ノラ」は80万枚の大ヒット。

 

さらに、ルックスをいかし演歌歌手にも関わらず水着の写真集を発売。異色のアイドル演歌歌手として人気が爆発し、デビューから2年で紅白に出場しました。

 

ドタキャン

しかし、1994年に失踪事件を起こし、マスコミから猛バッシングを受けました。その年の新人賞の行方を大きく左右する一大イベントをドタキャンしたのです。前代未聞のできごとにマスコミは「登校拒否症」「男と駆け落ち」と面白おかしく書きたてました。

 

しかし、事実は全く違っていたと言います。この裏で門倉有希さんは死をも覚悟した監禁生活を強いられていたのです。

 

 

彼氏と同棲

1988年、門倉有希さんは中学3年生の時、歌手を目指してオーディション番組に出場。その会場で後に監禁されることとなる少年A(15歳)と出会いました。歌手になりたいという同じ夢を持つ2人は意気投合。4年間文通で交流を続け、高校を卒業すると同時にともに上京。Aの家で同棲を開始しました。

 

そして1994年、門倉有希さんのデビューが決まりました。デビュー曲「鴎…カモメ」は新人演歌歌手としては異例の20万枚を超える大ヒット。歌謡界からの評価も高く、その年の新人賞を総なめにするとまで言われていました。しかし、これが恋人Aの人格を豹変させることとなりました。

 

恋人の豹変

歌手デビューを果たし忙しい毎日を送る門倉有希さんに対し、いまだデビューすらままならないA。かつては同じ夢を追いかけていた2人の差が大きく開いた結果、Aは門倉有希さんに嫉妬するようになり、それは次第に束縛へと繋がっていきました。

 

男性マネージャーから電話がかかってくると、電話をオンフックにして会話を把握。スケジュールを全部報告するように言われました。

 

ある日のこと、門倉有希さんは夜8時にAと会う約束をしていましたが、スタッフたちとの急な食事会が入り、家に帰りついたのは夜11時に。すると、家にはズタズタに切り裂かれた門倉有希さんの衣装が。そして指輪をはめた手で殴られ顔面から出血。商売道具の大事な顔に怪我をおってしまいました。

 

しかし、Aは泣きじゃくりすぐに謝罪してきました。このとき、門倉有希さんはDVを受ける女性の典型的な症状に陥っていました。それはバタード・ウーマン症候群。暴力を受けた後に謝罪や優しくされることを繰り返すと、心の正常さが失われていくのです。その結果「私を愛しているから暴力を振るうんだ」「私が支えてあげないと彼はダメになる」と男を支えることに依存してしまうのです。

 

当時、門倉有希さんも暴力を受けるのは自分のせいだと思い込み、Aを責めることはなかったと言います。そして門倉有希さんの仕事が増えていくのと比例し、Aの嫉妬はエスカレートしていきました。

 

ドタキャン騒動

1994年10月1日は、その年に活躍した新人歌手が勢ぞろいする歌謡イベントの日でした。当時、新人賞も確実視されていた門倉有希さんにとって幼少期からの夢が叶う大事なショーレースでした。

 

しかし、Aは突如包丁をつきたててきたと言います。恐怖のあまり身動きがとれないまま時間だけが過ぎていきました。電話に出ることも許されず、マネージャーが自宅を訪ねてきました。しかし、彼の殺意に助けを求める声も出せずマネージャーは去っていきました。

 

門倉有希さんのドタキャンに会場は騒然となりました。そして、この日から恐怖の監禁生活が始まりました。

 

監禁生活

食事は買いだめしてあるカップラーメンを与えられるだけ。仕事もなかったAは24時間体制で門倉有希さんを見張り、脱出することは不可能でした。何度もマネージャーが自宅を訪れるも「逃げたら殺す」とAは繰り返し言ってきました。

 

監禁生活3日目、門倉有希さんに脱出のチャンスが訪れました。Aがトイレに入っている時に部屋を出たのです。しかし、Aにばれ殴られてしまいました。

 

そして監禁生活6日目、意識が朦朧とする中Aが電話で「明日の7時に伺います」と言っているのを聞きました。

 

翌日、門倉有希さんは決死の覚悟で脱出を試みました。家を出て公衆電話から父に助けを求め、命からがら実家に戻ったのです。

 

両親から被害届を出すことをすすめられましたが、イメージ傷つくのを恐れて警察にはいきませんでした。その結果、芸能界を干されてしまいました。

 

監禁のストレスから拒食症となりデビュー当時57kgあった体重は39kgに。さらに、追い打ちをかけたのがマスコミの大バッシングでした。監禁生活のことを何も知らないマスコミは「男とともに失踪」「人気もカネもオトコもほしい」と面白おかしく書きたてました。幼少期からの夢だった芸能界に居場所はなくなり、門倉有希さんは生きる希望も失ってしまいました。

 

捨て猫との出会い

そんな中、門倉有希さんの運命を変える出会いがありました。それが一匹の捨て猫。子猫の孤独な姿に自分を重ね合わせ、リボンと名付け一緒に暮らすように。門倉有希さんが思い悩んでいると心配して寄り添ってくれるリボン。監禁生活から解放されて以来、初めてホッとできたと言います。

 

しかし、門倉有希さんが元気になるのを見届けるかのようにリボンは亡くなりました。出会って3年の短い命でした。

 

そんな時、運命の曲に出会いました。その曲こそ門倉有希さんの最大のヒット曲となる「ノラ」です。発売直後から恋愛に悩む多くの女性の共感を呼び80万枚の大ヒット。愛猫リボンのおかげで芸能界に見事返り咲きました。

 

そして門倉有希さんは今、猫8匹に全てを捧げる驚きの生活を送っています。愛猫を病で失った経験から小動物看護士、小動物介護士の資格を取得。さらにネコ好きがこうじて今年3月に新曲を発売。タイトルは「恋猫」です。

 

「爆報!THEフライデー」

この記事のコメント

  1. 佐藤和也 より:

    門倉有希さんの監禁事件について、かなり疑問を持つ者です。当時の彼という人物を多少知っていますが、今回の話は全く作り話です。本来ならそんなことを彼がしていたら逮捕されるべき問題です。逆に監禁されて殺されそうになったのは彼で、当時の彼女の仕事を阻む要因としてプロダクションの方々に福島まで連れて行かれ監禁されたと聞いています、、TBSさんはこの番組の正確な現実を曲げるこのプログラムを確実な内容で放映する事を切に願います。

  2. 佐藤和也 より:

    先ほど送信した者です。内容は必ず確認してから、真実のみの放送をして下さい。全体が希薄な真実味のない番組にならない事を祈ります。

  3. 佐藤 より:

    この話本当にきちんと確認してから放送すれば良かったのにと思います。
    この人子供の頃から嘘つきなので