藤田小女姫 有名占い師の謎の死&犯人の福迫雷太|ザ!世界仰天ニュース

日本テレビの「ザ!世界仰天ニュース」で藤田小女姫さん殺人事件について放送されました。藤田小女姫(ふじたこととめ)は占い師として絶大な影響力を誇っていました。テレビで人気があり、政界の大物とも親しい藤田小女姫の死は22年経った今なお多くの謎が残っています。

 

1994年2月22日、藤田小女姫(56歳)はハワイに移住して21年、人脈や経験から企業のコンサルティングを生業とし、日本とハワイを行き来していました。仕事では充実していた藤田小女姫ですが、頭を悩ませていたのが息子の吾郎のことでした。ハワイ大学の学生だった吾郎には自分名義のクレジットカードを渡していました。しかし吾郎は度々カードを友人に貸し使わせていたのです。このことで親子はよく揉めていました。

 

2月23日午後5時、コンドミニアムから煙が出ていると通報があり、消防隊員が部屋へ突入し火を消し止めました。そして寝室のクローゼットの中から藤田小女姫を発見。すでに意識はなく懸命な蘇生措置をするも間もなく死亡しました。さるぐつわを噛まされていた藤田小女姫は胸を銃で撃たれていました。そして午後10時30分、コンドミニアムから5km離れたホテルの駐車場で赤いスポーツカーが燃えているとの通報がありました。助手席には吾郎が。吾郎は両手両足を粘着テープで固定され、胸を撃たれていました。警察は犯行の手口とタイミングから同一犯と断定しました。

 

捜査班は強盗の仕業だと考えていました。銃で藤田小女姫を脅しながら犯人が金目の物を探したらしい形跡も多く残っていたからです。さらにそれを裏付ける証言もありました。セントラルパシフィック銀行の会長は藤田小女姫の財産を管理し、彼女が最も信頼する日本人の友人でした。事件発覚の2時間前、彼のもとに電話があったと言います。内容は「今すぐ2万ドル(約200万円)を持ってきてほしい」というものでした。アメリカの銀行はキャッシュのデリバリーは禁止されていると伝えると「人の命がかかっているんです。ここにいる人にお金は用意できないと言ってちょうだい。日本語はわかるから」と藤田小女姫は言いました。会長が相手に説明しようとしたところで電話を切られてしまいました。会長は事件に巻き込まれているかもしれないと総領事館に連絡しました。そして午後4時半に総領事は部下数人と藤田小女姫のコンドミニアムへ。部屋から煙が出ていることが分かり事件は発覚しました。藤田小女姫と親しかった人は吾郎が事件の鍵を握り、彼女は巻き込まれたと考える人が多かったと言います。そんな藤田小女姫とはどんな人物だったのでしょうか?

 

彼女が世に知られるようになったきっかけは1950年。新聞でなんでも当てる地元で評判の天才霊感占い師と紹介されました。美少女ぶりも相まってテレビでも大きく取り上げられました。その後、大手新聞社社長室の隣に専用の相談室を設けられるまでに。政界では時の総理・岸信介が日米安保に関して助言を求めたと言います。藤田小女姫は各界の大物たちと交流するなかで数億円という資産を築いていきました。しかし、自身が経営していたサウナの火災をきっかけに表舞台から姿を消しました。そして1973年、ハワイに移住。子どもはいませんでしたが養子に迎えたのが吾郎でした。そして事件が起きたのです。

 

事件の翌日、質屋に藤田小女姫の宝石が持ち込まれました。持ち込んだのは福迫雷太(ふくさくらいた)という日本人。警察はただちにホノルル市内の福迫の部屋へ。しかし福迫は恋人の女性と共に姿を消していました。事件の2日後に出国し日本へ行っていたのです。福迫雷太はカリフォルニアで銃の不法所持で4度逮捕されていました。銃を密輸し、暴力団との繋がりもあったと思われました。吾郎に多額の借金をしていたのも福迫でした。吾郎とはダイビングを通じて知り合い、毎日にように遊んでいたと言います。福迫はいつも金に困っていました。

 

日本で事件のニュースを知った福迫雷太は神奈川県警に出頭。身に覚えのない濡れ衣だと訴えました。警察は福迫の家の家宅捜索に踏み切りました。するとカーペットが奇妙に切り取られ、ソファーが消えていました。福迫が住んでいたコンドミニアムには16台の防犯カメラが設置されていました。警察は録画されたテープを全てチェック。すると事件当日、福迫は何度もエレベーターに乗っていることが分かりました。

 

事件のあった2月23日午前9時27分、福迫と吾郎がエレベーターに乗り込み、13階の福迫の部屋へ行っていました。部屋で何をしていたかは分かりませんが12時55分、福迫が一人でエレベーターに乗り込み外出。向かった先は1.4km離れた藤田小女姫のコンドミニアムの可能性がありました。午後3時54分、福迫は部屋に戻ってきました。そして午後5時34分、福迫が部屋から出て1階へ。台車を持ってまた13階の自分の部屋へ。午後9時15分、福迫がシーツにくるんだ大きな物を乗せエレベーターへ。駐車場がある階でおり、午後10時37分に福迫は再びエレベーターへ。福迫のコンドミニアムの台車からは血痕が見つかりました。DNA鑑定の結果、吾郎のものと判明。地下のゴミ捨て場からは福迫の部屋からなくなっていたソファーが。しかもソファーの中から銃弾も出てきました。福迫雷太が犯人で間違いないと判断したハワイ当局は証拠を提示し日本と交渉。そして1994年8月、福迫雷太はアメリカへ身柄を移送されました。

 

裁判で福迫雷太は「私は友人とその母を殺していません。この件に圧力をかけている人に約束します。私は何も言いません。何もしゃべりません」と誰かに脅されているかのような発言をしました。弁護士は午後10時33分にスーパーで買い物をする福迫が映った防犯カメラの画像のコピーを提示しました。もし福迫の単独犯ならば10時30分に車に火をつけた後、4分後には3km離れたスーパーで買い物をしていなければなりません。この移動は不可能だと弁護側は主張しました。しかし裁判では終身刑が言い渡されました。

 

事件から22年、イノセンスプロジェクトのケネス・ローソンさんは福迫雷太の弁護人をしています。イノセンスプロジェクトとは判決が下った後もDNA鑑定や冤罪証明を行う非営利活動機関です。これまで330人の冤罪証明に成功しています。今はハワイ大学の学生と共に事件の再調査を行っています。番組では刑務所にいる福迫雷太と電話で話していました。

「私の家族のことが心配なので情報はあまり言いたくないです。私の元恋人、家族の安全が心配過ぎて当時いろんな事が言えませんでした。私は日本の警察に誘拐されたようなものなのです」

事件にはまだ明らかになっていない事実があることをほのめかしながらも確信については黙秘を続けています。福迫雷太はなぜ藤田小女姫を殺害したのか、今なお真実は闇の中です。

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