内藤やす子 10年ぶりの復活|金スマ

TBSテレビの「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」で内藤やす子さんの10年ぶりの復活について放送されました。内藤やす子(ないとうやすこ)さんは心を揺さぶる歌声で70年代から80年代にかけて次々とヒットを飛ばし、日本人離れしたその歌声は唯一無二とまで言われました。しかし2006年、突如芸能界から姿を消しました。内藤やす子さんは病によって自分がかつて歌手だったことさえ忘れてしまったのです。そんな内藤やす子さんが唯一覚えていたことが10年間必死に看病してくれた夫・マイケルさんのことでした。

 

1975年、内藤やす子さんはデビュー曲「弟よ」が35万枚の大ヒットを記録。翌年にはレコード大賞最優秀新人賞をはじめあらゆる賞を総なめ。しかし1977年、世間を騒がせるスキャンダルで一時活動を休止。その後1984年にリリースした「六本木ララバイ」がロングヒットを記録し、2年連続で紅白歌合戦出場を果たしました。こうして内藤やす子さんは歌謡界で確かな地位を築いていました。そんな彼女が一体なぜ記憶をなくしてしまったのでしょうか?

 

2006年、内藤やす子さんはディナーショーの途中で倒れ病院へ搬送されてしまいました。脳出血でした。原因は日々の飲酒や喫煙などによる高血圧でした。翌日、内藤やす子さんは後遺症で記憶を失い、自分が歌手だったことさえ忘れてしまっていました。そんな中、唯一覚えていたのが夫・マイケルさんの存在でした。マイケルさんは日本文化に魅せられオーストラリアから来日。英会話学校で働いている時に六本木のバーで見かけた内藤やす子さんに一目惚れ。その後、2年間の交際のすえ結婚。内藤やす子さん44歳、マイケルさん23歳という21歳の年の差婚でした。

 

入院から数日後、内藤やす子さんの右半身の麻痺は歩けるようにまで回復。しかし徘徊するようになってしまったのです。内藤やす子さんは記憶を失っただけでなく、おかしな行動を取るように。それでも発症から3か月後には食事など最低限の生活が送れるようになり退院。しかし歌手活動ができなくなってしまった内藤やす子さんの収入はゼロに。マイケルさんの英会話講師の仕事だけでは家賃が払えず、内藤やす子さんの実家に引っ越しました。それでも生活は苦しかったと言います。そしてリハビリを続けても内藤やす子さんの記憶は戻りませんでした。そればかりか冷蔵庫の中に洋服が入っていたり、突然カラスの鳴きまねをすることも。認識障害の影響で幼児化してしまったのです。

 

マイケルさんは脳出血について猛勉強し、少しでも脳の刺激になればと小学1年生の算数と国語のドリルを日課にしました。さらに内藤やす子さんの記憶にとどまるようにと日常の中にイベントを増やしていきました。しかし昔のことを全く覚えていないばかりか、昨日の思い出も記憶することができませんでした。その後、記憶を失ったまま5年という月日が経過。すると奇跡が起こりました。

 

ある日、内藤やす子さんを動物園へと連れて行ったマイケルさん。その数日後、動物園に行ったことを覚えていました。一日前のことすら覚えられなかった内藤やす子さんが数日前に行った動物園のことを記憶していたのです。このことをきっかけに少しずつ自分が歌手だったことを思い出し始めた内藤やす子さん。しかし記憶が戻って直面したのは辛い現実でした。脳出血の後遺症に加え、芸能界から離れて5年も経った内藤やす子さんに歌手として戻れるステージはなかったのです。

 

それから4年経ち、もう復帰は諦めかけていた2015年3月、所属事務所の社長から復帰の話をもちかけられました。世間は忘れても社長は内藤やす子さんの復活を信じてくれていたのです。これまで支えてくれた夫への恩返しがしたいと、内藤やす子さんは歌手として復活することを決意しました。こうして脳出血発症から9年、内藤やす子さんは再びスタートラインに立つことになりました。

 

しかし2015年5月、内藤やす子さんは最初の壁にぶつかりました。お腹から声を出しているつもりでも全く声が出なかったのです。発声練習だけの地道なトレーニングが続きました。さらに自分の曲の心が分からなかったと言います。いつ感情を取り戻せるのか内藤やす子さんは長いトンネルの中にいました。そして2016年2月20日、金スマのステージで復活ライブを行うことが決定。そして番組で10年ぶりに「弟よ」「思い出ぼろぼろ」「六本木ララバイ」を披露していました。

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