リスト ~魔術師の真実~ |ららら♪クラシック

NHK・Eテレの「ららら♪クラシック」でリスト特集 ~魔術師の真実~ が放送されました。コンサートを開けばいつも満員。卓越した指の動きに見栄えのする演奏スタイル。その上、甘いルックスまでかねそなえていたフランツ・リストは「ピアノの魔術師」と呼ばれ世の女性たちのハートをがっちりつかんだクラシック界のスーパースターでした。

 

なんでもピアノで名アレンジャー

ピアノの魔術師という異名を持つほどのリストは、ピアニストとして自らの超絶技巧をコンサートホールで披露し多くの聴衆を魅了しました。また作曲家としても数々のピアノ曲を世に残しています。そんな魔術師リストが生涯で作ったピアノ作品は700曲以上。実はその中には他の作曲家の作品をピアノ曲にアレンジしたものが沢山あるのです。

「ピアノは私の言葉であり人生でありかけがえのない親友である」

リストはもとの曲をたんにピアノにおきかえるのではなく、全く別次元のダイナミックな音楽として作り上げているのです。これほどまでにピアノのアレンジにこだわったリスト。そこには例え歌手がいなくても大きなコンサートホールに行けなくてもピアノ一台であらゆる種類の音楽を楽しめるようにしたいという思いがありました。

 

音楽の未来を切り開け!敏腕プロデューサー

大人気ピアニストとしてヨーロッパ中のその名が知れ渡っていたリストですが30代半ばをむかえ大きな決断をしました。それまでの演奏活動を打ち切り本格的に作曲に取り組むことにしたのです。そしてドイツのワイマールから宮廷楽長のポストに招かれ新たな生活を始めました。宮廷楽長とは宮廷につかえる音楽家で、今でいう音楽監督や音楽プロデューサーのこと。お抱えのオーケストラを取り仕切り演奏会の企画を任されることになったのです。自分の楽団を持ち自由な音楽に挑戦できることは作曲家としての腕を磨きたいリストにとって理想的な環境でした。リストはまずここで指揮者としての経験を積んでいきます。当時の指揮は拍子を正確に刻むだけというのが一般的でしたが、リストが目指したのはより豊かな音楽表現でした。そのため音の強弱やアクセントを強調しようと腰をかがめたり背伸びをして腕を高く上げるなど体全体で指揮をしました。

「われわれは漕ぎ手ではなく舵取りなのです」

今日にも通じる指揮法をリストはすでに実践していたのです。そしてオーケストラ作品の作曲にも積極的に取り組みました。リストが生きた時代、音楽は文学や美術に比べ芸術的な価値が低くみられていました。しかし、リストは音楽こそ最高峰の芸術であるとして新しい音楽表現を試みました。文学や美術、思想といった音楽以外の具体的なテーマやストーリーをオーケストラで表現しようとしました。そしてそれを交響詩と名付けたのです。今となっては物語や人間の感情を音楽で表現するのは当たり前になっていますが、当時はとても画期的なことでした。リストは13曲もの交響詩を作り、この新たな音楽スタイルは後の作曲家たちに大きな影響を与えることとなりました。

人生を愛や自然、勝利というストーリーで描いた交響詩が「レ・プレリュード」です。42歳で発表し初演は自身の指揮で行われました。この曲の流れをリストは「生は死への前奏曲である」と例えています。リストは作曲が終わった後にフランスの詩人ラマルティーヌの詩「レ・プレリュード」というタイトルを引用し作品名としました。

 

光を求めて 神の道へ

ピアニストとして作曲家として順風満帆な音楽人生を歩んできたリストですが、50歳を超えた頃から逆風が吹き荒れました。20代の頃に出会った恋人マリーとの間に生まれた子供を次々に亡くし、最大の理解者と言われた人妻カロリーネとの別れることに。2人が長い間待ち望んだ結婚が様々な圧力によって破断となり14年にも及ぶ関係に終止符を打つことになったのです。そればかりか、リストの作る新しい音楽を理解できないという者から非難を受け、ついには宮廷楽長の地位まで追われてしまいました。次々と降りかかる過酷な運命にリストは打ちのめされました。絶望の淵に立ったリストは精神的安らぎを求めて新たな道を模索し始めました。そして53歳の時にローマにある礼拝堂での儀式を経て聖職者となるのです。それ以降、常に黒い僧衣を身にまとい宗教音楽にも取り組み始めました。

「聖職につくことは音楽家であることをやめることにはなりません。むしろ全く反対でそれによって一層すぐれた音楽家の良心を得られることになるでしょう」

そして57歳の時にローマ教会に縁のある人物の別荘エステ荘で新たな暮らしを始めました。糸杉と噴水が有名なこの地でリストは朝4時に起床し祈りを捧げる生活を送っていました。そしてこの頃、リストは神や死を意識した宗教色の強い音楽を生み出しています。その中の1つが7曲からなるピアノ曲集「巡礼の年 第3年」です。曲集に度々登場するのは糸杉。糸杉とはキリスト教では人の死を象徴しています。

「この3日というもの私はずっと糸杉の木々の下で過ごした。これらの古木の幹は私につきまとい私にはその枝が歌い泣くのが聞こえ、その変わらぬ葉が重くのしかかっていたのだ。私はそれを五線譜に書き留めたのだ」

深い悲しみをたたえた曲集の中、リストは一つだけ希望の光を感じさせるような作品を組み込んでいます。それが4番目に登場する「エステ荘の噴水」です。音楽家としての栄光と名声を手にしながらも年老いてから向き合わなければならなかった絶望や苦しみ、枯れ果てた思いの先にリストは一体何を求めたのでしょう。

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