27年ぶりの「運動靴」 ~その後~ |ザ・ノンフィクション

今、ひきこもっている人は約70万人。そして40代以降の長期のひきこもりが増えていると言われています。

 

淑子さん(69歳)は43歳になる息子を自立させたいとあらゆる手をつくしてきましたが、何も変えられませんでした。2013年11月、家にカメラが入ることになりました。人が訪ねてくるのは数年ぶりだという自宅は、人一人がやっと通れるくらいでほとんど足の踏み場もありません。家中が雑誌や本、新聞に埋めつくされ床も見えないほどです。真樹さん(43歳)はここで27年間もひきこもってきました。

 

真樹さんは周りの物音が気になり、いつも神経を張り詰めているのですぐ疲れてしまうそうです。人の目が怖くて一人では外に出られないと言います。夜はお母さんはベッドで、真樹さんは畳で寝ています。3DKの家ですが奥の2部屋は真樹さんの溜めたもので入ることもできません。

 

食事の時には精神科で処方されたうつ病の薬とイライラを抑える漢方薬を飲み続けています。長年のひきこもりでうつ病になったと言います。生活は年金でまかなっていますがギリギリだと言います。

 

この27年、淑子さんは息子のことを第一に暮らしてきました。真樹さんは一日のほとんどをテレビを見て過ごしています。43歳の真樹さんはパソコンも携帯も持っていません。

 

1971年に生まれた真樹さんは、両親と姉の4人家族で育ちました。父親は遠洋漁業の漁師でほとんど家にはいませんでした。運動が得意でクラスの人気者だったと言います。サッカーの選抜メンバーにも選ばれプロになるのが夢でした。

 

しかし、中学2年の時に膝を痛め、それからは運動が出来なくなりました。サッカーの夢が閉ざされてひどく落ち込んだ真樹さんに追い打ちをかけたのが学校でのイジメでした。ここから自分の殻に閉じこもるようになったのです。次第に友人も離れていき孤立。ひきこもっていきました。

 

外へ出ようとしてアルバイトをしたこともありました。しかし、いつも人間関係につまづきどんどん人が怖くなっていきました。両親は離婚し姉は独立し2人だけの暮らしが長くなりました。

 

取材を始めて半年後、真樹さんに変化があらわれました。何度も家を訪ねたことで、ずっとやらないといけないと思っていた片づけを決心したというのです。整理整頓のため母親と棚を買いに行きました。大型家具店に行くのも、レジでお金を払うのも初めてでした。

 

モノの山の始まりは一冊の音楽雑誌でした。当時、孤独な心を音楽で慰めていました。世の中から取り残されまいと27年間いろいろなモノを買い込んできました。掃除をしている時に、近所の部屋の音が気になりだした真樹さん。音が気になって仕方ない真樹さんは、そのイライラを毎晩母親にぶつけるようになりました。

 

そんなある日、淑子さんは真樹さんをつれて共育学舎へ。共育学舎の代表である三枝孝之さんも生きづらさを感じています。そこで、こんな居場所があったらと思ったものを形にしました。共育学舎は無料で食事と宿泊ができ義務もなく自由に過ごせる場所です。真樹さんは27年ぶりに他の人と食卓を囲みました。三枝さんは社会で居場所を失った多くの若者と接してきました。

 

 

真樹さんは10kmマラソンに挑戦することにしました。27年ぶりに新しい運動靴を淑子さんが買ってきました。真樹さんは一人トレーニングを続けました。大会当日、2500人のランナーが集まりました。真樹さんは無事完走することができました。

 

真樹さんは一人でパソコンを買いに行きました。今まで怖くて店の人に声もかけられなかったのにです。

 

2015年10月、ずっと離れて暮らしていた真樹さんの父親が亡くなりました。ひきこもる息子を認めようとしなかった昔堅気の父親。ひきこもりから脱したいと頼ってもこたえてくれなかった父親に心を閉ざしていきました。手先が器用だった父親はサッカーに夢中だった真樹さんのために自宅の庭にゴールを作ってくれたと言います。

 

その後、真樹さんは野菜を作りレストランに卸す仕事を手伝い始めました。社会へ出ていく長い道のりを真樹さんは歩き出しています。

 

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