新・映像の世紀 第4集「世界は秘密と嘘に覆われた」|NHKスペシャル

第二次世界大戦後、世界は二つの陣営に分かれました。資本主義のアメリカ社会主義のソビエトです。ヨーロッパは鉄のカーテンで分断されました。

 

お互いの憎しみがいつか炸裂し核戦争が勃発。恐怖のシナリオに世界が怯えた冷戦時代。核兵器による恐怖の均衡が続く中、米ソは直接戦うこと避け、世界各地で代理戦争を繰り返しました。軍拡競争が果てしなく拡大。罪もない人々が巻き込まれました。

 

そして、米ソが引き上げた後、荒廃した大地に残されたのは大量の武器底知れない憎悪でした。

 

米ソの覇権争い

アメリカとソビエトは、大戦中は手を結びナチス・ドイツを倒しました。しかし、共通の敵であるファシズムが姿を消すと、米ソの覇権争いが再びむき出しとなりました。焼け跡で米ソが繰り広げたのは、ナチの科学者やスパイの争奪戦でした。

 

ソビエトはナチ科学者の頭脳を大量にスカウトし、遅れていたミサイルや化学兵器の分野を急速に進歩させました。一方、アメリカも1600人を超えるナチの残党を雇いました。

 

ヴェルナー・フォン・ブラウン

 

ミサイル兵器の第一人者であるヴェルナー・フォン・ブラウンは、後にアポロ計画を推進。ソビエトに対するスパイ工作の専門家ラインハルト・ゲーレンは、アメリカにソビエトの機密情報を提供する見返りに戦犯のリストから除外されました。

 

諜報機関CIA

ナチの残党をスパイとして大量に雇った諜報機関CIA。ウォール街の弁護士だったアレン・ダレス長官がCIAを率いました。

 

アレン・ウェルシュ・ダレス

 

ソビエトの秘密警察KGBは史上例を見ない邪悪な組織です。我々CIAには、しかるべきモラルがあります。私の知る限りCIAは誘拐や暗殺はやっておりません。

(アレン・ダレス)

 

ソ連のスパイ戦

ソビエトの秘密警察KGBは、世界中でスパイ戦を行い国内では人民を弾圧しました。1924年に権力を握り、恐怖によってソビエトを支配した独裁者ヨシフ・スターリンは、見えない敵に脅える猜疑心の塊でした。

 

ヨシフ・スターリン

 

スターリンは誰も信用しない。敵がソビエトを取り囲み、あらゆる人間の中に裏切者が潜んでいると思い込んでいた。スターリンの異常な警戒心は狂気の世界を生み出した。

(「フルシチョフ回想録」より)

 

スターリンは、秘密警察に命じてソビエト国内にいる裏切者を探し出そうとしました。疑われた者は強制収容所に送られ、形ばかりの裁判によって大量に粛清されました。

 

スターリンは、大戦中からアメリカに巨大なスパイ網をきずいていました。政府機関を中心に349人ものスパイが潜入していました。

 

IFM(国際通貨基金)を創設したハリー・デクスター・ホワイトは、後にソビエトのスパイであることが判明。ルーズベルト大統領の首席秘書官だったラフリン・カリーもソビエトのスパイで、密かに外交機密をソビエトに渡していました。

 

いったい誰がスパイなのか、ソビエトはどこまでアメリカの機密を握っているのか、アメリカ政府の内部には疑心暗鬼が広がり誰も信用できなくなってしまった。国益へのダメージは計り知れないほど大きかった。

(アメリカ議会図書館 調査員の報告より)

 

ソビエトの最大の狙いは、アメリカから核兵器の機密を盗み出すことでした。大戦中すでに原爆開発の秘密基地にスパイを送り込んでいました。原爆の設計図を含む最高機密を次々と盗み出しました。

 

ソビエトは原爆は4年後に、水爆は3年でアメリカに追いつきました。ソビエトが核兵器を手にしたことでアメリカの市民は恐怖に脅えました。

 

赤狩り

赤狩りが果てしなくエスカレートしていきました。ハリウッドは赤狩りの恰好の標的とされました。政治家たちは、ハリウッドを見せしめにして大衆の注目を集めようと企てたのです。大スターが議会に呼ばれ魔女狩りのような尋問が行われました。証言を拒めば映画界を追放されました。

 

 

そんな中、売れない俳優だったロナルド・レーガンが突然脚光を浴びました。彼は驚くほど赤狩りに協力的でした。

ロナルド・レーガン

 

実はロナルド・レーガンはFBIのスパイでした(コードネームはT-10)レーガンは政府を批判する者を密かに監視し、FBIに密告していました。

 

黒幕として赤狩りを操っていたFBIは、CIAと並ぶアメリカの強力な情報機関です。CIAは海外、FBIは国内を活動の場としています。FBI長官のエドガー・フーバーはアメリカ中にFBIのスパイを潜ませ、共産主義者を探しだそうとしました。

 

ジョン・エドガー・フーバー

 

フーバーの赤狩りは醜悪な副産物を生んでいました。調査の過程でフーバーは政治の裏情報を握り、48年間も大統領に仕えました。権力の源泉は、長きに渡って蓄積された秘密ファイルでした。ホワイトハウスの一角にはフーバーの銅像まで作られました。

 

どれほど有力な政治家でもフーバーのファイルに震え上がった。金銭のトラブル、不倫、酒の上での失敗。秘密を巧みに利用してフーバーは権力を拡大。FBIの予算は簡単に議会を通過した。

(ハルバースタム「ザ・フィフティーズ」より)

 

1953年、ソビエトの独裁者スターリンが死去。後継者ニキータ・フルシチョフは後にスターリンを批判しましたが、アメリカとの謀略戦は引き継ぎました。スターリンが去ったその年、アメリカは密かに海外の政権転覆を狙った秘密工作を進めていました。ターゲットはイランでした。

 

アメリカの秘密工作

20世紀初頭からイランの石油利権を独占していたのはイギリスでした。イラン人は安価な労働力として酷使されるばかり。

 

そこに勇気ある政治家が現れました。1951年に首相に選ばれたモハンマド・モサデクです。民主的な改革に取り組み、イギリスから石油資源を奪還しました。

 

モハンマド・モサデク

 

それに対してイギリスは、国連でモサデクを激しく批難しましたが、モサデクは一歩も引きませんでした。

 

イランは主権国家として当然の権利を行使しているだけです。

(モハンマド・モサデク)

 

モサデクは共産主義者ではありませんでしたが、ソビエトの支援を受けたイラン共産党がここぞとばかりにモサデクを支持。アメリカはイランが共産化し石油がソビエトに奪われることを恐れました。

 

CIAのアレン・ダレス長官はイギリスの諜報機関と協力し、モサデク政権を倒す秘密工作「エイジャックス作戦」を開始しました。2013年に公開された機密文書によればCIAの工作員は100万ドルをばらまき、軍人やギャングを買収。暴力を使って強引に政権を転覆させようとしました。

 

モサデクは国家反逆罪で逮捕されました。CIAが仕掛けたクーデターは、呆気ないほど簡単に成功したのです。

 

アイゼンハワー大統領はイランを訪問し、亡命先のローマから帰国したパーレビ国王を支援し親米政権を作りました。そして、新たにアメリカの石油メジャー5社が利権の4割に食い込みました。

 

この成功に味をしめたCIAは、その後も世界各国で秘密工作を仕掛け反米政権を次々と転覆させていきました。

 

イラン国民のアメリカへの怒りが爆発するのは26年後のことでした。

 

STASI 壁の向こう側

街自体が分断されたベルリンは、東西対立の最前線となっていました。1961年、市民の西側への逃亡を防ぐためベルリンの壁が築かれました。それでも多くの人々が命がけで逃亡を試みました。

 

旧東ドイツの秘密警察シュタージは、西側と通じる者を摘発するため異常な監視体制をきずきました。密告を奨励し、国民の7人に1人が協力しました。市民が集まる広場は、24時間監視されシュタージのスパイがまぎれこんでいました。

 

冷戦後、シュタージの秘密文書が公開されました。300万人を超える市民が監視記録の閲覧を望みました。

 

5年間も投獄されていた女性は密告者が夫であったことを知った。公開された秘密は親子、兄弟、友人の人間関係を破壊した。密告した者もされた者も心を病み、最悪の場合命を絶った。

(ガートン・アッシュ「ファイル」より)

 

世界が核戦争に最も近づいた日

1961年、アメリカでは43歳のジョン・F・ケネディが大統領に就任。若き大統領は翌年、核戦争勃発の危機に直面しました。

 

ジョン・F・ケネディ

 

アメリカは隣接する社会主義国キューバの不審な動きに気づきました。CIAは偵察機をとばし、核弾頭を搭載できるミサイルがソビエトから持ち込まれていることが分かりました。主要都市が核ミサイルの射程距離に入っていました。

 

3年前、キューバでは革命家フィデル・カストロが親米政権を倒しました。アメリカの武力侵攻を恐れたカストロはソビエトの援助を求め、軍事面での協力を強化。

 

 

アメリカに核ミサイルの機密情報をもたらしたスパイは、ソビエト軍参謀本部の大佐オレグ・ペンコフスキーでした。権力闘争に明け暮れる指導者に絶望していたペンコフスキーは、ソビエトの最高機密をCIAに渡したのです。

 

ケネディはテレビに出演。危機を世界に公開することでソビエトを牽制するのが狙いでした。ケネディは、キューバ周辺を海上封鎖すると宣言。

 

キューバをめざす船舶に攻撃用兵器の積載が確認された場合、引き返させる。

(ジョン・F・ケネディ)

 

アメリカにパニックが広がり、人々は核シェルターに閉じこもり、スーパーマーケットからは食料品が消えました。

 

その直後、ソビエトに潜伏させていたペンコフスキーからの連絡が途絶えました。ソビエトはペンコフスキーがアメリカのスパイであることを突き止めていたのです。KGBはペンコフスキーを泳がせ、アメリカの動きを探ろうとしました。監視に気づいたペンコフスキーは、密に亡命の準備を始めました。

 

1962年10月27日、ソビエト軍がキューバ上空を飛んでいたアメリカの偵察機を撃墜。世界にさらなる緊張が走りました。

 

アメリカ空軍参謀総長カーティス・ルメイは、ソビエトへの先制核攻撃を大統領に進言しました。

カーティス・ルメイ

 

もはや核戦争は避けられません。今なら勝てます。絶好のチャンスを逃してはなりません。

(カーティス・ルメイ)

 

カーティス・ルメイは第二次世界大戦中、東京をはじめ60を超える日本の都市を爆撃する作戦を指揮した人物です。

 

ルメイはソビエト全土に渡って7000メガトン(広島型原爆46万個分)の核ミサイルを投下する計画を立てていました。少なくとも数億人の民間人が犠牲となり、北半球全体が放射能に汚染されます。

 

ケネディはルメイの進言を却下する決断を下しました。スパイからの情報を分析した結果、先制攻撃をしてもキューバのミサイル基地殲滅には至らず報復は避けられないと結論づけたからです。

 

水面下では米ソの間で妥協点を探る努力が続けられていました。土壇場でフルシチョフが譲歩し、ソビエトがラジオでミサイル撤去を発表し世界が安堵しました。

 

今後、アメリカがキューバへの武力侵攻をしないという条件で両国は合意にこぎつけていました。

 

大統領が危機に冷静に対処できたのは、ペンコフスキー文書のおかげだ。世界の運命を左右する決断に機密情報がこの時ほど威力を持ったことはない。

(CIA副官ヘルムズの証言)

 

一人のスパイがもたらした機密情報が大統領の決断を支え、世界は破滅を逃れました。

 

その頃、ペンコフスキーはKGBに拘束されていました。危機の回避から半年後、ペンコフスキーは処刑されました。

 

ベトナム CIA・史上最悪の作戦

1963年11月22日、ケネディ大統領が暗殺されました。暗殺から2日後、容疑者オズワルドは移送される最中に射殺されました。事件の真相は今も謎のままです。

 

後継者はリンドン・ジョンソンでした。新しい大統領にとって緊急かつ最大の難問はベトナムでした。アメリカは1950年代から南北ベトナムの問題に介入。北ベトナムは社会主義国家で、アメリカは南ベトナムに傀儡政権を作り打倒をはかりましたが膠着状態が続いていました。

 

北ベトナムの指導者ホー・チ・ミンは、中国やソビエトの軍事援助を受けていました。ジョンソン大統領は大規模な空爆に踏み切り、第二次世界大戦をはるかに超える爆弾を投下。50万の地上軍をベトナムに送りました。

 

アメリカの指導者はいわゆる「ドミノ理論」にとりつかれていました。もし、南ベトナムが共産主義者の手に渡れば、アジアの国々が雪崩を打って共産化してしまうと脅えていたのです。

 

アメリカの傀儡政権である南ベトナムにはCIAのウィリアム・コルビーが派遣されていました。軍とCIAが手を組み、北ベトナムと通じる共産主義者を南ベトナムから一掃する破壊工作が始まりました。

 

疑われた2万人以上の民間人が手当たりしだいに拷問、虐殺されました。恐怖をあおるため殺害したベトナム人の口にスペードのエースをくわえさせました。さらに、共産主義者が潜むとされた村は焼き払われました。南ベトナムでもアメリカに対する憎しみが拡大。CIAの工作員でさえ作戦に疑問を感じ始めました。

 

まさに悪夢だった。ベトナム人の大半はアメリカを侵略者とみなしていた。CIAの作戦はまるで見当違いで果てしなく暴走していった。私はCIAの一員として祖国アメリカを誇りに思っていたが、それもベトナムへ来るまでだった。

(CIA工作員ラルフ・マクギーの証言)

 

それでも、ジョンソン大統領は「勝利は近い」と言い続け、ベトナムへ投入する戦力を拡大。ベトナム反戦の声が世界中に巻き起こりました。

 

しかし、ジョンソン大統領とFBIのフーバー長官はベトナム反戦運動を共産主義者の陰謀とみなしました。FBIとCIAは反戦運動の指導者を監視、盗聴し脅迫しました。

 

さらに、フーバー長官が敵視していたのは人種差別の撤廃を求める公民権運動でした。先頭に立っていたのはマーティン・ルーサー・キング牧師。公共施設や学校で黒人を隔離する差別的な政策に抗議しました。

 

マーティン・ルーサー・キング牧師

 

キング牧師は、公民権運動とベトナム反戦運動とを結び付け大きなうねりを作り出そうとしていました。ベトナムで戦死した兵士の多くは貧しい黒人でした。

 

FBIは「キングは共産主義者の手先だ」というデマを流し、自殺をすすめる手紙を送って脅迫。キング牧師は政府との対決の姿勢を鮮明にし、リバーサイド教会での演説は人種をこえ多くの聴衆に感銘を与えました。

 

もはやベトナムについて沈黙することは許されません。アメリカの魂をむしばむ毒はベトナム戦争で生まれる。社会の向上ではなく軍事力に莫大な予算をつぎ込む国は精神の死に近づいていく。スラム街での暴力を批判する前に世界規模の暴力に対しはっきり発言しなければなりません。それは、わが政府です。

(キング牧師の演説)

 

演説から1年後の1968年4月4日、キング牧師は暗殺されました。犯人は白人の暴漢でした。全米の黒人は怒りと悲しみに震えました。

 

1975年4月、南ベトナムの首都サイゴンが陥落。アメリカが初めて戦争に負けました。アメリカに向かう最後のフライトに協力したベトナム人が殺到。取り残された人々は大量の難民となりました。

 

同じ頃、CIAに対する批判が高まりました。外国要人の暗殺、拷問、クーデターへの関与など、CIAの違法な秘密工作が調査され、おびただしい秘密と嘘が暴かれました

 

ベトナム戦争終結の4年後、今度はソビエトがアフガニスタンに侵攻。ソビエトの傀儡政権がイスラム勢力によって脅かされていました。かつてベトナムでソビエトの支援するゲリラに苦しめられたアメリカは、報復のため最新兵器をイスラムゲリラに提供。ベトナム戦争におけるアメリカとソビエトの役割が、そっくり入れ替わった戦争でした。

 

1981年、かつて俳優だったロナルド・レーガンが大統領に選ばれました。そして、ソビエトを相手に史上空前の軍備拡張を宣言。米ソはその後も中南米やアフリカを舞台に代理戦争を繰り返し、大量の武器と憎しみがばらまかれました。

 

アフガン戦争でCIAの訓練を受けるイスラム戦士たちの中には、オサマ・ビンラディンもいました。米ソが引き上げた荒廃した大地には、21世紀の世界に恐怖をもたらす憎しみの種がまかれていたのです。

 

「NHKスペシャル」
新・映像の世紀で第4集「世界は秘密と嘘に覆われた」

 

新・映像の世紀
第1集「百年の悲劇はここから始まった
第2集「グレートファミリー新たな支配者
第3集「時代は独裁者を求めた
第4集「世界は秘密と嘘に覆われた」
第5集「若者の反乱が世界に連鎖した
第6集「あなたのワンカットが世界を変える

この記事のコメント

  1. KZB より:

    黒幕として、アメリカを操っていたCIA