ブランチ・ダビディアン事件|マサカの世界衝撃事件

アメリカ・テキサス州ウェイコに、ひっそりと共同生活を送る小さな新興宗教団体があります。ブランチ・ダビディアンです。ここで暮らす信者たちは、争いを好まず地域社会に溶け込もうと努力する温和な集団でした。その教団が1993年、事件を引き起こしました。

事件当初ブランチ・ダビディアンを率いていたのは三代目教祖であるデビッド・コレシュ。28歳にして教団のトップに立ち、信者たちから絶大な支持を集め、神とあがめられていました。

そんなコレシュはいかにして人々の心をつかみ、そしてなぜ教団は暴走したのでしょうか?

デビッド・コレシュのおいたち

1959年、デビッド・コレシュはテキサス州ヒューストンで生まれました。母親は15歳の時に未婚のままコレシュを出産。夫のいない未熟な母は、コレシュを産んですぐにアルコールにおぼれ育児放棄。コレシュは、祖父母のもとに引き取られ育てられました。

コレシュは、学校でも勉強についていけず孤独な日々を送っていました。そんなコレシュの心の拠り所となったのは、祖母が読み聞かせてくれた聖書でした。12歳の頃には、聖書のほとんどを暗唱できたと言います。

ブランチ・ダビディアンとの出会い

1981年、22歳となったデビッド・コレシュはブランチ・ダビディアンと出会いました。初めは信者の一人だったコレシュですが、毎週日曜日に開かれるミサでギターを弾くなどして、徐々に目立つ存在に。そして、その姿は教団のトップであるロイス・ローデンの目にとまりました。

ロイス・ローデンは70代後半でしたが、母の愛情に飢えていたコレシュはロイスと関係を結ぶように。こうして、末端信者にすぎなかったコレシュは教団内での地位を一気に上げました。幼い頃から探し求めていた自分の居場所をついに見つけたのです。

デビッド・コレシュが教祖に

1986年にロイス・ローデンが死去。ブランチ・ダビディアンはロイスの実の息子ジョージ・ローデンが後を継ぐことになり、再びコレシュの居場所はなくなってしまいました。

すると、コレシュはジョージ・ローデンを力で脅し、教祖に就任しました。強引に教祖となったコレシュでしたが、信者たちの支持は抜群でした。それは、コレシュが幼い頃より身に着けた、たぐいまれなる聖書の知識で、信者からのあらゆる質問に答え救いを与えたからです。

さらに、終末論で信者を怖がらせ、助かるためにはブランチ・ダビディアンを信じるしかないと洗脳しました。「恐怖」と「救い」という2つを使い分け、コレシュは信者の心を掴んでいきました。

暴走のはじまり

ここから、ブランチ・ダビディアンは暴走していきました。信者に財産を寄付させ資金を調達。この資金で大量の保存食を買い、武器も大量に購入しました。

コレシュは教団施設内に射撃場を作り、信者たちに徹底的に銃の扱いを教えました。昼夜問わず鳴り響く銃声に、近隣住民からの通報が相次ぐように。さらに、児童虐待の通報も入るようになり、強制捜査が行われることになりました。

強制捜査

1993年2月27日、強制捜査が始まりました。部隊は2班に分かれ建物内に侵入を試みましたが、信者たちの激しい抵抗が始まり銃撃戦に発展。退去を余儀なくされ強制捜査は失敗に終わりました。

翌日、事態の収拾に乗り出したのはFBI。彼らは、武力ではなく交渉による平和的な解決を試みようとしました。コレシュのメッセージを全国放送のラジオで放送するみかえりに、FBIが求めたのはコレシュと信者たち全員の投降でした。コレシュは、ラジオで神について延々と話し続けました。しかし、FBIとの約束を守らず投降を拒否しました。

立てこもり27日目、FBIは信者の車を戦車で破壊。すると、捜査本部にビデオレターが届きました。カメラの前で語る信者たちは、脅迫ではなく自らの意志で立てこもっていることを強調。頑なな信者の意志を目の当たりにしたFBIはこれ以上の交渉は不可能と判断。戦車で壁に穴を開け催涙ガスを流し込みました。

しかし、6時間経っても誰一人外に出てきませんでした。そして建物から出火。原因は不明でした。建物は全焼し、助かった信者はわずか8人でした。

デビッド・コレシュは焼け落ちた建物から発見されました。死因は頭部から発見された銃弾。追い詰められた教祖は自ら命を絶ったのです。

しかし、ブランチ・ダビディアンは現在もテキサスの田舎町でひっそりと活動を続けています。

「マサカの世界衝撃事件」

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