クレオパトラ|たけしの新・世界七不思議大百科

テレビ東京の「古代文明ミステリー たけしの新・世界七不思議大百科 第3巻」で古代エジプト最後の女王クレオパトラの魅力について放送されました。フランスの哲学者ブレーズ・パスカルは「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界の歴史は変わっていただろう」と言いました。しかし、その美貌は後世の人々が限られた記述をもとに西洋的な美女として描いた想像の産物であり素顔を伝える証拠はほとんどありません。実像を伝える唯一の物証がクレオパトラの肖像が刻まれたローマ時代のコインです。そこに刻まれたクレオパトラは鼻が尖り決して美人とは言いがたい顔です。ではクレオパトラの魅力とは何だったのでしょうか?

 

クレオパトラが生まれ育ったアレクサンドリアは紀元前332年にギリシャのマケドニア王アレクサンドロス大王によって建設され古代エジプト最後の王朝の首都として300年に渡って栄えました。しかし、度重なる大地震によって繁栄を伝える遺跡はほとんど残っていません。かつてアレクサンドリアの港には世界七不思議の一つに数えられるファロス島の大灯台がそびえアンティロドス島と呼ばれた小島にはクレオパトラの宮殿がありました。そして街を見下ろす丘の上には史上最大にして最高とまで言われた図書館がありました。集められた蔵書は70万巻以上にもなり、世界各地から優秀な学者や文化人たちが集ったと言います。

 

ギリシャ人の父プトレマイオス12世の三女として生まれたクレオパトラは7か国語を自由自在に操り、円周率の値や地球が丸いことも知っていたと言います。紀元前51年、父の死によって18歳のクレオパトラはクレオパトラ7世として8歳年下の弟プトレマイオス13世と共に王位につきました。そこへやってきたのがローマの内紛でエジプトへ逃げた将軍ポンペイウスを追ってきたカエサルでした。弟のプトレマイオス13世とその一派はポンペイウスを殺害し、その首をカエサルに差し出しローマに引き返すように促しました。一方、弟と対立を深めていたクレオパトラは絨毯に包まれてカエサルの前に現れローマとの同盟を申し出ました。そんなクレオパトラにカエサルはたちまち魅了されたと言います。

 

カエサルはローマの共和制を廃止し、唯一絶対的権力を持つ皇帝になることを決意。同時にクレオパトラも世界制覇を夢見ました。その時、彼女のお腹にはカエサルの息子カエサリオンが宿っていたからです。

 

ローマと同盟を結びエジプトに再び隆盛を取り戻す道筋を立てたクレオパトラですが、大きな壁が立ちはだかりました。ローマの介入を廃しエジプトの独立を死守しようとする一派がプトレマイオス13世を担ぎ出し、共同統治者としてクレオパトラの妹アルシノエ4世を前面に立てクレオパトラの追い落としをはかろうとしたのです。そこでクレオパトラはローマに援軍を要請。アルシノエ一派は強力なローマ軍に敗れ、アルシノエは捕虜としてローマへ連行されました。女王と呼ばれた女性が鎖につながれている姿を見て民衆は涙し、心を痛めたと言います。アルシノエは殺されるところでしたが、民衆の反応を見たカエサルはアルテミス神殿に彼女を幽閉しました。

 

クレオパトラはカエサルがローマで唯一絶対的権力を持つ王となり、息子のカエサリオンを後継者に指名する日を待ち望んでいました。元老院派を武力で制圧し、ローマでの支配権を確固たるものとしたカエサルは共和制の改革に着手。紀元前44年2月、カエサルは自ら終身独裁官に就任。権力を集中することで統治能力の強化をはかりました。しかし3月15日、カエサルは暗殺されました。古代ローマ法ではローマ市民と外国人、階級の違う者が結婚することは認められていませんでした。エジプト人であったクレオパトラとの関係もカエサルが暗殺された大きな要因の一つであったと考えられます。カエサルの死から2日後、カエサルの遺言状が公開されました。そこには18歳のオクタビアヌスを養子にし後継者に指名すると記されていました。クレオパトラの息子カエサリオンについては一言も触れられていませんでした。

 

しかしクレオパトラはあきらめていませんでした。カエサルを暗殺した共和主義者が一掃された後、アントニウスとオクタビアヌスが政治の実権を握り、ローマ世界の東をアントニウス、西をオクタビアヌスが分担して再建することになりました。42歳の男盛りのアントニウスはたちまちクレオパトラの虜に。そしてクレオパトラはアントニウスと正式に結婚。アントニウスはローマの覇権下にある地中海世界の半分をクレオパトラとその息子に与えると宣言しました。そしてクレオパトラは自らの姿とカエサリオンの姿をハトホル神殿の壁に刻ませました。

 

一方、オクタビアヌスはローマ世界の二分割は亡きカエサルの遺志に背くとし、対決姿勢を強めました。決戦を前にオクタビアヌスは敵はアントニウスではなくクレオパトラであると人々に信じ込ませました。これが功を奏しアントニウスは孤立。クレオパトラは勝者オクタビアヌスと王宮の中で出会いました。しかしオクタビアヌスの冷めた視線にクレオパトラは望みが絶たれたことを悟りました。紀元前30年、クレオパトラは自らの身を毒蛇に噛ませ命を絶ちました。

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