船場吉兆ささやき女将は今…|爆報!THEフライデー

2007年12月10日、船場吉兆による偽装表示謝罪会見が開かれました。これは高級料亭グループ「船場吉兆」で、お菓子の賞味期限や牛肉の産地の偽装が発覚したさいに行われたものです。

 

当時、謝罪の内容よりも、親子のやりとりが話題となり船場吉兆の役員だった湯木佐知子(ゆきさちこ)さんについたあだ名は「ささやき女将」です。

 

マスコミはこの会見を連日報道。ささやき女将は世の注目を集め、皮肉にも2008年の流行語大賞候補にノミネートされました。しかし、その一方でお店の信用は地に堕ち2008年5月に船場吉兆は廃業しました。

 

 

船場吉兆

1930年に料理人・湯木貞一(ゆきていいち)によって開業した高級料亭「吉兆」は伝説の美食家・北大路魯山人にはじまり歴代首相も度々愛用してきた日本料理界屈指の名店です。

 

そして1991年、湯木貞一が子供たちに暖簾分けを行い、ささやき女将こと娘の湯木佐知子さんが引き継いだのが船場吉兆でした。

 

実は、ささやき女将の接客は超一流と言われ、客の名前と好みの料理を全て覚えるほどの記憶力を持ち、女将でありながら経理までも一人で切り盛りしていました。その後、ささやき女将夫婦の経営に二人の息子も取締役として参加。家族4人で船場吉兆を経営しました。

 

平均単価5万円弱、政財界が重宝する高級料亭として人気を集め、大阪と博多で料亭4店舗、百貨店の売り場なども運営。年商は14億円にのぼりました。

 

表示偽装事件

しかし、世間を揺るがす大事件を起こしました。2007年10月、福岡のデパートで販売していた賞味期限切れ菓子類の期限ラベルを現場従業員が貼り直す偽装表示が発覚。さらに、1か月後には牛肉の産地偽装までもが明らかに。

 

2007年11月、大阪府警は本店など12か所の強制捜査にふみきりました。こうして2007年12月10日、あの謝罪会見が開かれることになりました。

 

なぜささやいてしまったのか?

会見にのぞんだのは当時70歳の湯木佐知子さんと、その長男でした。一体なぜ女将はささやいてしまったのでしょうか?

 

記者会見前日、弁護士の指導のもと想定問答が始まりました。マスコミのどんな質問にも対応できるよう想定問答をし、女将と息子は全てを暗記しました。しかし、この練習が仇となってしまいました。

 

想定問答を完璧に覚えていた女将ですが、長男は極度の緊張からか頭が真っ白に。覚えた言葉が記憶から飛んでしまったのです。そして、想定問答の内容を完璧に覚えていた女将がつい囁いてしまったのです。

 

廃業

会見後、マスコミの取材はヒートアップ。報道が熱をおびる一方で船場吉兆への客足は遠のき2008年1月、民事再生法適用を申請。女将以外の家族全員が船場吉兆を退社しました。

 

何とか店だけは存続させようとした女将ですが、客が箸をつけずに残した刺身を再利用していたと元従業員がマスコミに暴露。船場吉兆の信用は地に堕ち、客足は途絶えました。

 

そして2008年5月、船場吉兆は廃業しました。しかし、廃業はさらなる地獄の始まりでした。

 

船場吉兆がかかえた負債は8億円。負債の返済のため、船場吉兆本店を含む全ての財産が差し押さえられました。さらに、自己破産を行い自宅も差し押さえに。

 

そんな中、ようやく次男の尚二さんが就いた仕事はうどんチェーン店でのアルバイトでした。

 

船場吉兆は今…

船場吉兆の偽装から8年、地道に働き続けた尚二さんは自分の店を開いています。扱っているのは以前と同じ和食で、料理長は船場吉兆の料理人です。

 

「爆報!THEフライデー」

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