不思議の国の女子高生|ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ

NHK/Eテレの「ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ」で不思議の国の女子高生が放送されました。女子高生は制服という鎧を身にまとい90年代日本社会を進撃しました。ポケベル、プリクラ、ルーズソックスなど次々と生み出す流行で日本を揺さぶりました。そんな女子高生の勢いはサブカルチャーの世界をも飲み込んでいきました。この独特な感性は一体いつからどのように育まれてきたのでしょうか。

 

1870年(明治3年)宣教師メアリー・E・キダーが横浜で女子向けの教育を開始しました。後のフェリス女学院です。ここに女学生が誕生し全国に広まりました。彼女たちの存在を際立たせたのが制服です。その始まりはまるでドレスのような洋装スタイルでした。当時、国をあげて西洋文化の受け入れへと走る時代。洋装は最先端モードでもありました。この頃、女学生たちは流行語を生み出しています。「てよだわ言葉」です。「よくってよ」「いやだわ」といった話し方です。小説家・尾崎紅葉が「異様なる言葉づかひせり」と評し、文化人たちもこれを批難。しかし徐々に一般女性にも浸透していきした。また彼女たちだけの隠語も生まれました。「消防自動車」はチャイムが鳴ったらすぐに教室に入ってくる先生のこと。「白鳥」は見た目は美しいけれど意地悪な人のこと、「ヤンキー」はお転婆娘のこと、「デコる」はおしゃれをすること、「ナイフ」は独身男性のことなど。

 

明治30年を過ぎた頃、女学生の制服はドレス調から動きやすくカジュアルなはかまスタイルが主流に。女学生は最新流行の西洋文化を好む人、つまりハイカラの象徴でした。しかし一方で、一部の女学生たちの行動が批難の対象となってしまいました。それは「堕落女学生」と騒がれたスキャンダル。下宿先で男性と恋愛の果てに妊娠などの記事が新聞紙面におどり「生意気」「性的奔放」と批難されたのです。羨望と嫉妬の眼差しが交錯して向けられた女学生の存在は従来の価値観からはみだす異物だったのかもしれません。

 

大正10年、当時世界的に流行していたファッションを女子高生はリアルタイムで取り入れることに。セーラー服です。愛知と福岡の女学校で外国人教師によって海外の水兵服をモデルに作成されました。以後、全国のいたる所でセーラー服姿の女子たちが見られるようになりました。そんな彼女たちのバイブルとなったのは大正から昭和初期にかけて人気を博した少女雑誌です。その内容は主に制服の写真グラビアや女学生の悲恋が描かれた小説など。中でも女学生たちが胸を熱くしたのが「少女の友」に掲載された中原淳一の描く女性のイラスト。手足の長いスタイルに輝く瞳、美しい洋風の女性像はいわば最先端モードのグラビアでありカタログでした。

 

戦後は教育制度が刷新され高校は3年間に。女子たちの呼び名も女学生から女子高校生に変わりました。戦後の制服は男子が詰襟、女子がセーラー服という形が全国の定番となりました。1960年代に入り学生運動の時代に。大学紛争に引きずられるようにいくつかの高等学校では高校紛争が勃発しました。詰襟とセーラー服が軍服に由来することから制服を管理の象徴と主張する学生も現れ、服装の自由化を求める運動まで起こったのです。その後70年代には超ロングスカートにペタンコのカバンなど制服を自己流にカスタマイズする者も。不良少女を表するスケバンという言葉も誕生しました。いつの世も女子高生たちは時代の空気を身にまといながら独自のカルチャーを生んできました。

 

1985年に大学生だった森伸之が書いた「東京女子高制服図鑑」は東京都内にある私立高等学校の制服を各校1ページずつイラスト付きで紹介した本です。驚くべきは細部にまでいたる解説。制服はジャンパースカートやセーラー服などスタイルの分類はもちろん靴やカバンの特徴、髪型にいたるまで鋭い観察結果が隅々にまで記されていました。

 

90年代、女子高生ブランドの象徴となったのがルーズソックス。当初はクシュクシュソックスと言われ一説では渋谷区にある某高校の女子生徒が登山用のソックスをたるませて履いたのがルーツと言われています。時代をおうごとにボリュームはどんどんアップしゴム抜きルーズや脱力ルーズなど、たるませ具合も日々進化。学校へ着ていくための制服を街で普通に着られるファッションアイテムへと昇華させていきました。日々更新される女子高生ファッションの原動力となったのはストリートファッション雑誌と呼ばれる路上スナップ写真をうりにした雑誌。そこでの主役は有名人ではなく東京の街を行く名もない女子高生たちでした。

 

1970年代に女子高生の間で流行し始めたのが丸文字。当時普及し始めたシャープペンシルは芯が弱かったためペンを斜めにして柔らかい筆使いで書いたことから生まれたものと言われています。交換日記や授業中の手紙交換に使う独自の文字として広まっていきました。1980年代、登校前の洗髪「朝シャン」が歌人の題材になりヒット。一事が万事、女子高生の流行が消費文化をリードしていきました。1990年代に入り女子高生が手にしたのがポケベル。当初は数字しか表示できない機種でしたが女子高生たちは数字に50音を当てはめるルールを構築。メーカーも思いつかなかったコミュニケーション方法を編み出しました。