鑑真と弟子たち|歴史秘話ヒストリア

NHK総合テレビの「歴史秘話ヒストリア」で愛と信念は海を越えて~鑑真と弟子たち~が放送されました。奈良の唐招提寺を開いたのは中国大陸から渡ってきた僧侶・鑑真(がんじん)です。当時、中国でも屈指の高僧と知られていた鑑真はなぜわざわざ日本に来たのでしょうか?そこには日本の仏教が直面していた大きな危機がありました。日本へ向かうことを決意した鑑真ですが、次々と苦難が襲い掛かりました。それでも鑑真は日本行きを諦めませんでした。

 

鑑真和上坐像の秘密

奈良時代に作られた鑑真和上坐像は日本最古の肖像彫刻と言われています。鑑真像が作成される以前の日本には神や仏の像はありましたが人の姿を写した像は存在しなかったのです。記録によれば鑑真和上坐像は鑑真の生前、弟子たちの手によって作られました。そのため眉毛やまつげのような細かい部分にいたるまで実際の鑑真そっくりであると伝えられています。像は毎年、鑑真の命日である6月6日前後の3日間しか公開されません。そのため唐招提寺にはいつでも像を拝みたいという声が多く寄せられていました。そこで平成23年4月、鑑真像のレプリカ「御身代わり像」を作るプロジェクトが始まりました。担当したのは美術院の特別チーム。平成25年6月、御身代わり像が完成しました。御身代わり像は唐招提寺の開山堂に安置され毎日公開されています。鑑真の死後も常に共にありたいという弟子たちの願いは1250年の時を越え、いつでも会える身近な像という形で実現したのです。

 

鑑真はなぜ日本に?

中国・唐の高僧だった鑑真はなぜ日本へやってくることになったのでしょうか?日本に仏教が伝来したのは538年。その普及に力を入れたのが聖徳太子です。聖徳太子は「今から200年後、仏教はますます盛んになるであろう」という予言をしたと言います。それから約200年経った時、仏教は逆に衰え僧侶の中には女性を近づける者、酒を飲む者、勝手に僧侶を名乗る者なども現れました。時の帝・聖武天皇は危機感を抱き、戒律に詳しい僧侶を唐から連れてくることにしました。白羽の矢が立ったのは栄叡と普照。天平5年、2人は唐へ渡りました。しかし日本に行こうという僧侶は見つからず9年の歳月が流れ、2人は揚州へ。ここに戒律の第一人者がいるという話を聞いたからです。それが大明寺にいた鑑真です。当時55歳で、鑑真が戒律をさずけた弟子は唐全土で4万人にのぼったと言われています。鑑真の弟子たちの中で日本に来てくれるものがいないか2人は説得を始めました。そして鑑真と共に21人の弟子が日本行きを申し出ました。しかし、唐の国の人間が国外に出ることは法律で固く禁じられていました。そこで弟子たちは天台山に参詣するという名目で船を用意し日本へ渡る計画を立てました。しかし日本行きを快く思わない弟子の密告で一行は逮捕されてしまいました。栄叡と普照は4ヶ月に渡る獄中生活の末、日本に帰国することを条件に釈放されました。天平15年、鑑真は2度目の日本渡航計画を立てました。今度は鑑真自らがお金を出して船を調達し秘密裏に渡航の準備を始めました。その年の12月、船は無事に港を出ました。しかし船は嵐に遭遇し座礁。大破してしまいました。一行は冬の海に投げ出され餓えと渇きに苦しみました。しかし海上警備の役人に救われ一命をとりとめました。こうして2度目の挑戦も失敗に終わりました。3度目の挑戦はまたもや密告により発覚。栄叡は鑑真に密出国をそそのかしたとして逮捕されました。4度目の挑戦は陸路から。寺への巡礼を装って船が待つ港へ向かいました。しかし密告で拘束され、鑑真は揚州に送還されてしまいました。こうして4度に渡る日本行きへの挑戦はすべて失敗に終わりました。

 

弟子たちとの別れ

鑑真は日本への渡航を諦めませんでした。監視の目がゆるむのを待つこと4年、5度目の日本行きに挑みました。順調に船出した鑑真一行ですが嵐に遭遇し漂流。半月もの間、南に流され海南島に辿り着きました。鑑真はやむなく揚州に陸路に引き返しました。しかし、これまでの旅の疲れからか栄叡が病に倒れてしまいました。唐に来て16年、栄叡は志を果たせぬまま亡くなりました。普照は鑑真一行と別れ役人の目を逃れ行方をくらませました。その後、鑑真は目の病気にかかり失明。3年後、鑑真のもとに日本から使者がやってきました。この年、日本は20年ぶりに遣唐使船を派遣。その帰国便で鑑真たちを密かに出国させようとしたのです。遣唐使に鑑真のことを伝えていたのは普照でした。こうして無事に遣唐使船に乗り込んだ鑑真と普照、そして24日との弟子たちは約1ヶ月の航海を経てようやく日本に辿り着きました。天平勝宝6年、奈良の平城京に到着。都の人たちの盛大な歓迎を受けました。鑑真は日本の僧侶たちに戒律を守ることを誓わせ、僧侶のあるべき正しい道を説きました。そして、その後の日本の仏教を担う多くの僧侶を育てていったのです。

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