書きかえられた沖縄戦 ~国家と戦死者・知られざる記録~|ETV特集

太平洋戦争末期、日米両軍が激しい戦いを繰り広げた沖縄戦。国内の地上戦としては住民の犠牲が最大となりました。沖縄県民だけでも少なくとも12万人が亡くなったとされていますが、正確な数は今も分かっていません。

 

住民たちはどのように戦死したのか、その詳細を記した国の記録がありますが、その記録は実態とはかけ離れた形に書き換えられていました。なぜ書き換えが行われたのか、そのことは何を意味しているのでしょうか?

 

深刻な兵力不足に陥っていた日本軍は「根こそぎ動員」と呼ばれる方針のもと、沖縄の住人を戦場に駆り出しました。女学生や14歳以上の男子中学生、疎開させるはずだった人たちも軍に協力させられていきました。軍はこう呼びかけていました。

 

全県民が兵隊になることだ。即ち一人十殺の闘魂を持って敵を撃砕するのだ。

 

日本軍はアメリカ軍の圧倒的な攻撃を避けるため、地下壕に隠れ敵を待ち伏せる作戦をとりました。こうした地下壕は戦火を逃れた住民たちも混在していました。アメリカ軍は壕の入り口を塞ぎ火炎放射器などで中を焼き尽くす攻撃を繰り返しました。こうした無差別攻撃で住民の犠牲はさらに拡大していきました。

 

アメリカ軍の侵攻にともなって日本軍と住人たちは南部の狭い地域に追い詰められていきました。沖縄戦で犠牲になった県民は、少なくとも12万人にのぼります。一家全滅も相次ぎ、戸籍も消失したため正確な犠牲者の数は今も分かっていません。

 

占領下、日本政府は沖縄戦の被害状況の調査を進めました。昭和27年、独立を回復した日本。政府が真っ先に行ったのはアメリカの統治下にあった沖縄を含む軍人・軍属の遺族の支援でした。占領中、GHQは軍人恩給の制度を廃止していました。そこで国は遺族らを支援する制度「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を新たに作りました。遺族は年間3万円近くの援護金を受け取ることができました。現在、その額は年間で最大196万円になっています。

 

一方、一般の国民の戦争被害を補償する制度は戦後70年に渡って存在しませんでした。東京大空襲による10万人を超すとされる犠牲者。住民が国に損害賠償を求める裁判を起こしましたが「戦争被害は国民が等しく受忍しなければならない」として訴えは退けられました。原爆で14万人が命を落とした広島と7万人が犠牲となった長崎。平成6年に被爆者援護法が制定されましたが、あくまで医療や福祉面での支援にとどまっています。

 

軍人・軍属のみならず、多くの住民が戦場に駆り出された沖縄。沖縄県民の犠牲者12万人のうち援護法が適用されたのは軍人・軍属2万8228人だけでした。残る9万4000人の住民はその多くが軍と行動を共にしていたにも関わらず何の補償もないままでした。こうした住民たちをどう支援していったのでしょうか。

 

「戦斗参加者」と書かれた5万人を超す名簿は、軍に協力した住民に援護法を適用するため特別な枠組みです。いつどこで亡くなったのか、軍からどんな要請を受けたのかが書かれています。住民が亡くなった理由で圧倒的に多かったのが日本軍に壕を提供したというもので、全体の3割を超えています。

 

しかし、この記録は実態とは異なっていました。住民の証言を録音した1000本のテープでは壕の提供とは程遠いケースがいくつも見つかったのです。なぜ国の記録は書き換えられるに至ったのでしょうか。それは援護法の対象を住人にも拡大しようという動きがきっかけでした。

 

遺族会と共に犠牲者の調査に当たっていたのが元軍人の馬渕新治さん。馬渕さんは日本政府の窓口として沖縄に滞在し、援護法の住民への拡大を後押しした一人です。沖縄で2年かけて住民たちに直接聞き取り調査を行い沖縄戦の実態を書き記しました。そこには日本軍による住民への加害の実態も書かれていました。

 

調査の結果をふまえ馬渕さんは、日本軍に協力した住民だけでなく戦闘に巻き込まれ命を落とした人や日本軍によって殺害された人たちも援護法の対象とすべきだと指摘しました。馬渕さんが報告書を提出した4ヵ月後、国は戦闘参加者という枠組みで援護法の対象を住民にも広げました。戦闘参加者と認められるためには条件がありました。国が指定する20項目のいずれかに当てはまる必要があったのです。直接戦斗や弾薬・食糧・患者等の輸送、陣地構築、炊事・救護等雑役など、ほとんどが日本軍への協力行為です。スパイ嫌疑による斬殺など日本軍による加害行為も一部含まれました。

 

しかし、馬渕さんが援護法を適用すべきだとしていた戦闘に巻き込まれた一般住民や日本軍によるその他の加害行為の犠牲者は対象とされませんでした。戦斗参加者の記録の書き換えはこの20項目が原因で起きていました。

 

実際に遺族たちへの聞き取りを進めると、20項目に当てはまらないケースが次々と出てきました。そうしたケースを吸収していく役割を果たしたのが「壕の提供」でした。こうして5万6861人の犠牲者が戦闘参加者と認められ、遺族に援護金が支払われることになりました。

 

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書きかえられた沖縄戦
~国家と戦死者・知られざる記録~

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