新潟水俣病 50年目の被害者たち|特報首都圏

NHK総合テレビの「特報首都圏」で誰にも言えない 語れない~新潟水俣病 50年目の被害者たち~が放送されました。経済成長の最中、阿賀野川流域で起きた新潟水俣病。工場排水に含まれた有機水銀が原因で多くの人たちが激しい手足のしびれやめまいにみまわれました。これまで国が新潟水俣病患者と認定した人は約700人。認定基準は当初、手足の感覚が麻痺する感覚障害や歩けなくなる運動失調など複数の症状がある人としました。一方、こうした基準からもれた未認定患者も約1400人いました。彼らは国から認定されなかったものの医師から水俣病と診断された人たちです。彼らは認定を求める訴えを今も続けています。さらに、今も名乗り出ていない潜在患者も多くいると言われ、新潟水俣病の被害の実態はいまだによく分かっていません。

 

新潟水俣病患者の苦悩

70代の小林さん(仮名)は水俣病であることを今も子供たちに隠しています。小林さんは手足の痺れがおさまらない水俣病特有の症状に長年悩まされてきました。小林さんが症状を隠してきたのは、水俣病の家族がいることで子供に特別な目が向けられないか心配してきたからです。71歳の皆川栄一さんは最近まで水俣病であることを周囲の人に打ち明けることはありませんでした。幼い子供たちを大工の仕事で養ってきた皆川さんは20代の頃に手足の痺れを自覚しました。しかし水俣病と知られれば職場を追われてしまうのではないかという不安から口を閉ざしてきたのです。60代の渡辺さん(仮名)は20代の頃から手の痺れに苦しんできました。しかし、ここ10年程で指のこわばりがひどくなり真っ直ぐに伸ばすことも物を掴むことも難しくなってきました。この先どうなっていくか分からない水俣病の症状に渡辺さんは一人で向き合っています。

 

どう救済する埋もれた被害者

430人の水俣病患者で作る阿賀野患者会の事務局長をしている酢山省三さんは、阿賀野川流域の4万世帯を対象に痺れや耳鳴りなどの症状がある人がいないかチラシを配り呼びかけています。この半年で相談を寄せた人は70人以上。会では今でも取り残された人たちがいる可能性を国に示し対策の必要を訴えようとしています。

 

新潟水俣病への理解を求めて

水俣病に対する人々の考えを変えていきたいと声をあげ始めたのが山﨑昭正さんです。自らも水俣病であることを公表し去年から学校などで経験を伝える活動をしています。山﨑さんはこれまで自身に向けられてきた周囲からの言葉をありのまま語っています。山﨑さんは被害者自らが声をあげることが理解への一歩に繋がると考えています。

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