横浜銀蝿は今…|爆報!THEフライデー

1980年代、不良少年少女が増加し非行や暴走族が大きな社会問題になっていました。そんな反抗的な空気が世の中を覆う中現れたのが横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)です。

 

つっぱりをテーマにリーゼント革ジャンドカンのズボンという不良ファッション。メンバーは横浜の不良出身で、リーダーでドラムの嵐、嵐の弟でボーカルの翔、ギターのJohnny(ジョニー)、ベースのTAKU(たく)の4人。

 

1980年9月アルバム「ぶっちぎり」でデビュー。彼らはツッパリたちの率直な気持ちを代弁しティーンたちから支持を得ました。レコード、カセットは計700万枚を売り上げました。

 

そんな横浜銀蝿ですが薬物撲滅を訴えたり、週刊誌で10代の悩み相談の連載を持つなど若者たちと真摯に向き合いました。1983年に解散し、メンバーはそれぞれの道を歩みました。

 

 

横浜銀蝿は今…

ギターのJohnny(ジョニー)さんは解散後も音楽ディレクターとして活躍し、現在はキングレコードの執行役員に。AKB48のプロデュースにも携わっています。

 

ベースのTAKU(たく)さんは中森明菜さんや三原じゅん子さんなどに楽曲を提供する作曲家に。また音楽ディレクターとして槇原敬之さんや本田美奈子さんを手がけました。

 

リーダーのさんは「嵐レコード」というプロダクションの社長をしています。しかし、2004年に脳梗塞で倒れ大手術をしています。一命はとりとめたものの右腕・右足の運動神経が低下。昔のようにドラムが叩けないと言います。

 

しかし、彼を襲った不幸は病気だけではありません。弟・翔さんの裏切りがあったと言います。

 

横浜銀蝿 嵐と翔

嵐さんと翔さんが思春期を過ごしたのは、1970年代初頭の神奈川県横浜市戸塚区。精密機械の会社で働くサラリーマンの父と専業主婦の母というごく普通の家庭で生まれ育ちました。

 

嵐さんが不良になり始めたのは高校入学直後。友人たちの影響で暴走族に入った嵐さん。喧嘩が強かった嵐さんは町一番の不良でしたが、仲間を大切にする男気溢れる人間だったと言います。

 

そんな兄を誇りにしていた翔さんは高校に入ると不良の道へ。2人がバンドを始めたのは翔さんが「音楽をやりたい」と言い出したからでした。

 

1983年「横浜銀蝿」解散後、嵐さんは所属事務所を引き継ぎタレントとなった弟のマネジメントを中心に事務所を経営。しかし、引き継いだ事務所は株の投資で失敗しており1億円近い負債を抱えていました。経営はうまくいかず借金は7億円に。

 

さらに、1997年に翔さんが覚せい剤取締法違反で逮捕されました。しかし、嵐さんは弟を信じ記者会見を開きました。翔さんは証拠不十分で不起訴に。ところが1年6ヵ月後、翔さんは覚せい剤取締法違反で2度目の逮捕。1年4ヶ月の実刑判決となりました。

 

2回目の逮捕により世間は兄弟を大バッシング。嵐さんの気持ちは翔さんの裏切りによって引きちぎられました。

 

それでも嵐さんは翔さんを見捨てることはありませんでした。刑務所暮らしを終えて出所した翔さんを更生させようと必死の営業活動をし、翔さんのCDを発売できる段階までこぎつけました。

 

ところがCD発売の前日、翔さんは覚せい剤によって3度目の逮捕。懲役1年10ヶ月の実刑判決を受けました。CDは発売中止に。この事件により嵐さんの妻は幼い2人の娘を連れて出て行きました。

 

そんな嵐さんの支えとなったのが23歳年下の美羽さん。彼女は嵐さんが経営する事務所のスタッフで、脳梗塞で倒れた嵐さんのリハビリを支えてくれました。そして2012年10月に2人は再婚。波乱万丈の人生を過ごしてきた嵐さんですが、今ようやく心の落ち着きどころを見つけたのかもしれません。

 

「爆報!THEフライデー」
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