マチュピチュに村を創った日本人 野内与吉|世界ふしぎ発見!

TBSテレビの「世界ふしぎ発見!」で開拓の灯をともせ!マチュピチュに村を創った日本人について放送されました。野内与吉(のうちよきち)さんは1895年11月18日に福島県安達郡大玉村に生まれました。時代は明治から大正へとうつり、多くの日本人が海外での成功を夢見ました。ペルーへ渡った21歳の野内与吉さんもそんな若者の一人でした。ペルーへ渡ってから9年、材木商として技術と知識を身につけた野内与吉さんはマチュピチュ周辺のジャングルに目をつけました。当時そこには高級な原木がいくつも生い茂っていたからです。野内与吉さんがマチュピチュについたのは1923年。考古学者ハイラム・ビンガムがジャングルにうもれ廃墟と化していたマチュピチュを見つけてから12年経っていました。

 

マチュピチュは15世紀、インカ帝国時代に作られた町です。王の避暑地とも神官のための聖なる都とも言われていますが町が築かれた確かな理由は確かではありません。スペイン人によってインカ帝国が征服されて以来、約300年もの間忘れ去られていました。

 

遺跡と温泉で多くの客を見込んだ野内与吉さんは1935年、村で初めてとなる木造3階建てのホテルを自らの手で建てました。しかも1階は郵便局や交番として使えるよう村に提供。マチュピチュへ来て18年、野内与吉さんは誰もが信頼する存在になっていました。徐々に住民も増えていきました。しかし1941年、太平洋戦争が勃発。その影響は南米にも拡大。当時、連合国側であったペルーは日本人移民を捕らえると次々とアメリカの強制収容所へ送りました。憲兵は野内与吉さんのもとにも。しかし村人は身をていして憲兵から野内与吉さんを守ってくれました。終戦後も試練が彼と村を襲いました。1947年、50年に一度という記録的な大雨が発生。土石流が村を襲ったのです。幸いにもこの災害で死んだ人はいませんでした。復興を指揮し村に尽くした野内与吉さんは次の世代へバトンを渡すと晩年はクスコで子供たちと余生を過ごしたそうです。そして1969年、家族と200人の村人が見守る中、ペルーに骨を埋めました。