中国でよみがえる雪舟|ETV特集

NHK・Eテレの「ETV特集」で中国でよみがえる雪舟が放送されました。中国の人々が極めてきた水墨画の世界の伝統は1400年に及びます。今、成長を続ける中国で改めて水墨画が注目され美術品の市場では水墨画ブームが熱狂しています。こうした中、中国の美術界で雪舟等楊(せっしゅうとうよう)が脚光を浴び始めました。雪舟は15世紀に活躍した日本の水墨画家です。水墨画の本家である中国でなぜ今雪舟なのでしょうか?

 

雪舟は室町時代の画家で僧侶でもありました。備中に生まれ禅の修業をつみ各地を遍歴しては多くの優れた水墨画を残し、日本で画聖と言われています。山口県の毛利博物館に代表作が残されています。国宝「四季山水図巻(山水長巻)」です。16mに渡って描かれた壮大な山水絵巻です。実在しない空想の風景ですが中国を思わせます。奥行きのある構図は雪舟の真骨頂です。西洋の遠近法と違って早春の霞が奥行きを作り、そこには形を写実することへのこだわりがすでにありません。絵の中の人物は雪舟自身であり絵を見る我々だと言います。世俗を離れ何者にもとらわれない文人の境地です。

 

雪舟は若い頃、日本の画壇では無名の人物でした。それが変わるきっかけは中国訪問でした。雪舟が中国に渡ったのは48歳の時。遣明船の随行員として命がけで海を渡りました。時は1467年、明の時代。北京に到着した雪舟は当時の皇帝に拝謁しました。雪舟が北京で描いた「四季山水図」を見た宮廷の人々はその腕前に驚き、文化を司る役所に飾る大作を雪舟に依頼しました。雪舟は日本に帰り次々に傑作を生み出し、それらが今21世紀の中国で再評価されているのです。雪舟は中国の伝統をふまえながら、さらに独自性を作風に加えていきました。

 

雪舟は中国に渡り様々な時代の絵画を見ました。中でも南宋の絵画に惹きつけられたのではないかと中国の研究者は考えています。実は今、南宋時代の文化に対する関心が中国で急速に高まっています。それが雪舟に視線が集まる背景にもなっているのです。南宋は杭州に都をおき水運が富を運び穀倉地帯が胃袋を満たし経済が成長しました。皇帝は文芸を奨励し紙や印刷術など技術も発展しました。「内斂(ないれん)」はここ数年、人々が言い始めた新しい中国語です。現代中国の人々が南宋に惹きつけられるのは内斂と呼ばれる美意識が関係しているのだそうです。内斂とは外面にかまわず欲に走らず大袈裟に誇張しない、心静かに内省し熟慮と満喫の深さを求める美意識です。拝金主義や出世主義への反省と共に今、中国の人々は内斂に目を向け南宋を懐古しているのです。

 

南宋への関心の高まりには、その滅亡の物語も一役かっています。南宋の滅亡は悲惨でした。フビライ率いる元の軍勢は都の杭州を落とし南宋軍を海に追い詰めました。1279年、長い消耗戦に疲弊した南宋軍は敗走。敗北を悟った宰相が8歳の皇帝を抱いて海に身を投げた後、南宋の人が次々に殺戮されたと言われています。この歴史は悲しみと恨みを伴い漢民族の間で語り継がれていくことになりました。その後、内憂外患で明け暮れた明を除き漢民族が他の民族に支配される時代が続きました。その間、南宋が頂点だったという漢民族の文化は時に弾圧され、時に忘れられていきました。そして現代、GDP世界第2位となった中国。今、インターネットには南宋文化についてのつぶやきや論争が盛んにアップされています。

 

中国に残っていた伝統的な文化を根こそぎにしたのは戦争でした。20世紀、日本との戦争は影響がほぼ大陸全土に及びました。1966年には共産党政権のもと文化大革命が沸き起こりました。毛沢東は雅な文化など反革命だとして否定。毛沢東を信奉する紅衛兵は伝統文化や宗教を破壊し文化人を吊るし上げて時に殺害しました。激動の歴史を経て国内から姿を消した中国の美術ですが、それらを今急速に取り戻しつつあります。失われた中国の伝統文化は様々な事情から海外で見つかり、それを中国に取り戻す役割を担っているのは富裕層です。