冷戦終結 首脳たちの交渉~ゴルバチョフが語る舞台裏~|ETV特集

NHK・Eテレの「ETV特集」で冷戦終結 首脳たちの交渉~ゴルバチョフが語る舞台裏~が放送されました。東西冷戦はソビエト率いる東側諸国とアメリア率いる西側諸国が激しく対立した時代です。当時、核戦争の危機が世界を覆いました。相手に匹敵する核を持つことで互いに核を使用できなくする核抑止の考えに基づき米ソは終わりのない軍拡競争を続けたのです。その結果手にした数万発もの核は米ソの財政を圧迫し大きな歪みを生んでいました。1985年3月、ゴルバチョフはソビエト書記長に就任。改革(ペレストロイカ)を掲げ、軍拡競争で疲弊した経済を立て直そうとしました。そして実に6年ぶりとなる米ソ首脳会談をスイスのジュネーブで開くことになりました。首脳会談の目的は米ソが軍拡競争を辞め互いに軍事的な優位を求めないという基本姿勢を合意することでした。しかし会談が始まっても米ソは軍拡競争を仕掛けているのは相手の方だと繰り返すばかりでした。平行線を辿る議論に突破口を開いたのがアメリカのシュルツ国務長官です。シュルツ国務長官は持参したグラフや表を取り出してソビエト側に軍事費の実態を抗議しました。このシュルツ国務長官の率直な意見が膠着した空気を解きほぐしました。シュルツ国務長官の指摘通り当時ソビエト経済は悪化し、物不足は深刻化していました。核軍縮を実現し軍事費を減らさなければ財政悪化は避けられない状態でした。ようやく米ソで合意を目指す具体的な協議がスタート。しかし、多くの部分で両国の思惑が食い違い米ソの合意文書をまとめられず、共同声明の発表を翌日に予定していた2日目の夜になっても結論は出ませんでした。

 

この日の夜、アメリカ側宿舎にゴルバチョフ夫妻を招いての晩餐会が開かれました。寛いだ雰囲気の中、食事と会話が進み米ソが歩み寄るきっかけがありました。レーガン大統領は「一緒にテーブルを拳で叩きましょう」と言い出しました。合意を目指す者同士、何か一つでも歩調を合わせて前へ進もうという提案でした。そして米ソは「核戦争に勝者はいない」「互いに軍事的優位を目指さない」と合意しました。米ソの関係をさらに前進させようと1986年10月に次の首脳会談が開かれました。具体的な数字を上げて核兵器の大幅な削減を目指しました。話し合いは和やかに始まりましたが、当時アメリカが推進していたSDI(戦略防衛構想)を巡って米ソは激しくぶつかりました。SDIはレーガン大統領自身が構想した新しい防衛システム。ソビエトから核ミサイルが発射された場合、宇宙の警戒衛星と地上基地が連携してその正確な位置を把握。レーザーなどの兵器でミサイルを撃ち落とす仕組みです。このSDI構想によって軍事的な均衡が崩れることをソビエトは恐れました。話し合いを進めるにはアメリカがSDIの開発を停止することが絶対条件だとゴルバチョフは迫りました。しかしレーガンはSDIは防衛専用のシステムであり中止するつもりはないと頑なに拒みました。ゴルバチョフとレーガンは冷え切った表情で別れ、決定的な米ソの決裂だと誰もが受け止めました。しかし結果的にこの交渉の決裂が核削減に繋がりました。

 

1987年12月のワシントン米ソ首脳会談では核兵器の削減が現実のものとなりました。核廃絶という大きな目標に向けて、まず合意できることを合意していったのです。SDI構想などの問題は先送りしました。こうして米ソは史上初めて核削減条約の締結に辿りつくことができました。東西が相手の陣営に向けて配備していた射程距離500~5500kmの中距離核ミサイルは全て撤去されることに。そして1989年12月のマルタ米ソ首脳会談で冷戦終結宣言を行いました。