アンリ2世の正妻カトリーヌと愛人ディアーヌの愛憎劇|世界ふしぎ発見!

TBSテレビの「世界ふしぎ発見!」でフランス・ローワル渓谷 古城に秘められた物語について放送されました。フランス・ロワール川の岸辺に建つアンボワーズ城には15世紀末から19世紀までフランスの歴代国王が暮らしてきました。母なる川と言われるロワール川の全長は1000km。フランスで最も長く日本列島の3分の1にも及びます。その中流域ロワール渓谷には古城が大小合わせて100以上も建っています。そんな古城には様々な物語が秘められています。

 

国王を虜にした絶世の美女

そんな古城で最も優雅で美しいと言われるのがシュノンソー城。シュノンソー城の美しさの秘密は城主にあります。16世紀から19世紀まで6人の城主は全て女性で、彼女たちが代々自分好みに改築してきたのです。それまでの城は部屋と部屋が直接繋がっていて手前の部屋を通り抜けなければ奥の部屋に行けませんでした。しかし、それではプライバシーが守られないということで最初の女性城主が廊下をもうけました。建設当初から女性らしさが特徴のシュノンソー城でしたが、それをより優雅に改造したのが2代目城主のディアーヌ・ド・ポワチエでした。彼女は国王アンリ2世の愛人でした。シュノンソー城はアンリ2世がディアーヌにプレゼントしたものだったのです。ディアーヌ・ド・ポワチエは驚いたことにアンリ2世より20歳も年上でした。しかし、類稀な美貌と知恵を併せ持つディアーヌは国王を生涯虜にしました。

 

アンリ2世は幼い頃に母親を亡くし、7歳の時に当時領土争いをしていた神聖ローマ帝国へ人質にとられました。その出発の日にアンリにかけより誰よりも別れを悲しんだのが当時27歳のディアーヌでした。貴族の家庭に生まれたディアーヌはアンリの亡き母に侍女としてつかえていたことからアンリを我が子のように可愛がっていたのです。捕われの身となったアンリは母を思うように、いつもディアーヌの面影を追っていたと言います。そして4年後、領土問題が解決してアンリがフランスに帰ってくるとディアーヌは彼の教育係を命じられました。当時ディアーヌは31歳でしたが、その美貌はいっこうに衰える気配がありませんでした。しかもディアーヌは知性的で優しく、アンリの気持ちが思春期に恋心に変わるのは自然の成り行きでした。

 

正妻VS愛人の戦い

カトリーヌ・ド・メディシスは1533年にイタリアの大富豪メディチ家から同い年のアンリのもとに嫁ぎました。しかし、この結婚はカトリーヌにとって最初から不幸なものでした。結婚後もアンリは20歳年上のディアーヌに夢中で、カトリーヌには目もくれませんでした。それはカトリーヌの正妻としてのプライドを大いに傷つけました。アンリが逞しい青年になるとアンリとディアーヌは結ばれ、ディアーヌはアンリの愛人になりました。この頃ディアーヌは38歳でしたが、美貌にはさらに磨きがかかりシワ一つない肌は透き通るように白かったと言います。一方カトリーヌは結婚してから9年間、子宝に恵まれませんでした。世継ぎができないプレッシャーも加わりディアーヌに対する嫉妬と憎しみが燃えたぎっていました。ディアーヌはアンリにカトリーヌの寝室にもっと頻繁に通い早く世継ぎを授かるように勧めました。しかし、そこには彼女のしたたかな計算があったと言います。もしカトリーヌが子供を生まなかったらアンリにもっと若い愛人ができてしまうかもしれません。愛人関係を続け自分の立場を守りたいという計算がディアーヌにはあったのです。ディアーヌの目論見通りアンリとカトリーヌはその後12年間で10人もの子供をもうけました。

 

ディアーヌとカトリーヌの対立を決定的にしたのがシュノンソー城でした。アンリ2世は当時国のものとなっていたシュノンソー城をディアーヌに贈ったのです。シュノンソー城を手に入れたディアーヌはさらに莫大な資金を投じて好み通りに改装。当時最も有名な造園家に庭作りを依頼した庭園には国中から届けられた色とりどりの花が咲き誇ったと言います。

 

年をとらない美魔女の秘密

ディアーヌは年をとらない美女と呼ばれていました。彼女の美貌の秘密は毎日の日課にあったと言います。まず夏も冬も日の出前に起床。ベッドから出てすぐ全身に冷水を浴びます。朝食は1杯の自家製スープのみ。午前中は森で2~3時間乗馬をし、午後は公務にいそしんだと伝えられています。若さを保つためには規則正しい生活が大切なのかもしれません。

 

フランスの歴史に残る三角関係が続いていた1559年、国王アンリ2世が40歳の時に悲劇が起こりました。馬上槍試合に出場したアンリ2世が相手の槍を目にうけ瀕死の重傷を負ったのです。ディアーヌがお見舞いに来たがりましたがカトリーヌが禁止したため、アンリ2世は愛するディアーヌに会えぬまま息を引き取りました。これを機にカトリーヌは積年の恨みを果たしました。アンリ2世がディアーヌに贈った宝石は全て返還させ、シュノンソー城も自分のものにしたのです。アンリ2世という後ろ盾のいないディアーヌは正妻の言葉に従うしかありませんでした。そしてディアーヌに対抗するかのようにカトリーヌはシュノンソー城に2つ目の庭園を造りました。こうして20年以上も続いた愛憎劇の幕は閉じました。シュノンソー城を手に入れたカトリーヌはその後実権を握りプロテスタントの大虐殺を引き起こしたことで歴史に悪名を刻みました。一方ロワール渓谷を離れたディアーヌはパリ郊外のアネット城に移り住み、彼女の終の棲家となりました。愛する国王の死から7年、ディアーヌはこの世を去りました。

 

しかし、死の間際でもディアーヌの外見の美しさは衰えず30代にしか見えなかったと言います。アネット城の教会に埋葬されたディアーヌですが、彼女の遺体はフランス革命のさいに掘り出され村の共同墓地に移されたため長く行方不明となっていました。ところが2008年、共同墓地の清掃作業の時ディアーヌの遺骨が発見されディアーヌの意外な死因が明らかになりました。彼女の骨には金の成分が大量に残っていたのです。またアネット城に保管されていたディアーヌの毛髪からも大量の金の成分が検出されました。16世紀のフランスでは金は太陽を表し、それを体に取り込むことで健康を保ち年をとらないと信じられていました。ただし、それは観念的な意味で金の精神を取り込むということだったのですがディアーヌの場合、金そのものを細かくし水やアルコールに混ぜて飲んでいたと考えられます。透けるように白く美しかったディアーヌの肌は金の中毒による慢性的な貧血のせいだと考えられます。また金の中毒になると肝臓が悪くなります。ディアーヌはその障害のせいで亡くなったのでしょう。

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