トリノ聖骸布の謎に迫る|幻解!超常ファイル

NHK総合テレビの「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー」でトリノ聖骸布について放送されました。トリノ聖骸布(とりのせいがいふ)の物語は中東エルサレムで今から約2000年前に始まりました。紀元30年頃、ゴルゴダの丘でイエス・キリストは十字架にかけられ、息を引き取ったのち遺体は布に包まれ埋葬されました。この時の布が聖骸布と呼ばれています。

 

聖骸布はイタリア・トリノの聖ヨハネ大聖堂で保管されています。信仰の対象とされ2010年に公開された時には世界中から200万を超える信者が参列したと言います。長さは4.41m、幅は1.13m、亜麻という植物の繊維を用い杉綾織という方法で織られています。左側には男性の前からの姿、右側には後ろからの姿が浮かんでいます。聖骸布は14世紀半ば、フランスに突然現れ16世紀後半にイタリア・トリノに移され人々の驚きと敬いに包まれ続けてきました。実はその注目の眼差しが過熱したのは今から100年ほど前です。

 

1898年、イタリアの写真家セコンド・ピアが聖骸布を初めて写真で撮影。すると白黒を反転させるネガによって人物像の詳細がハッキリと見えるようになったのです。人物像は身長180cmの痩せがたで手を体の前で交差しています。その姿を詳しく見ると新約聖書に記された磔の時の様子にそっくりだと言います。頭には傷と血の痕。聖書によるとキリストはいばらの冠をかぶせられ血を流していたと言います。そして背中には痛々しい無数の傷跡が。ローマ兵に討たれたムチの痕でしょうか。手首には磔の際に釘を打たれたような傷痕が残っています。この釘が打たれた位置については聖書には記述がありません。一方、古来より数多く描かれた宗教画の多くではキリストは手のひらに釘を打たれています。手のひらと手首、この違いは何を意味するのでしょうか?カトリック調布教会のガエタノ・コンプリ神父は、この釘の位置が聖骸布の信憑性を示していると言います。一般の十字架の絵は掌に釘をつけますが、掌では体の重みで切れてしまいます。聖骸布は聖書にも記されていない真実をこの姿の中に残しているというのです。

 

聖骸布をキリストの遺体を包んだ本物であると主張する研究者は、どのように人物像がしるされたと考えたのでしょうか?1902年、フランスの生物学者ポール・ヴィニョンが提唱した化学反応説は、布には傷薬のアロエや腐敗防止の油が塗られていたと想定。それが遺体から出るアンモニアと科学反応を起こし生成された物質が布に染み込み、人物の姿が写し取られたと唱えました。しかし、この説には矛盾があります。人に被せた布を広げれば、人物像は展開図のように歪んだものになるはずです。しかし実際の聖骸布は顔を正面から見たようになっていて歪みはありません。一方、聖骸布は後世に作られた偽造品だと主張する研究者は絵の具や顔料を使って描かれた絵画にすぎないとしました。1978年、長年の謎に答えを出すべくトリノ大司教の許可を得て徹底的な科学調査が実施されました。世界33人の科学者がプロジェクトを結成。X線や紫外線などを当てたり表面の繊維や付着物について調査を行いました。その結果、例えば人物像の傷口の血液はAB型の本物だと判明。布の裏側まで染み込んでおり表面に絵の具で描いたものではありませんでした。そして人物像についてロスアラモス国立研究所のレイ・ロジャースの発表は驚くべきものでした。まず、人物像からは絵の具や顔料は検出されませんでした。変色は繊維の表面の細胞が何らかの原因で破壊されたことで起きていることが判明。その幅は最大で0.6マイクロメートル。化学反応説で変色の原因とされる薬や油など液体が付着すれば繊維の深い部分にまで染み込み、反応を起こしているはずです。しかし、実際は繊維表面のごく薄い部分しか変色していません。一体どうすれば薄い表面だけの変色が出来るのでしょうか?科学的に解明しようとした結果、人物像の謎はますます深まってしまったのです。

 

ところが1990年代、新しく大胆な仮説が登場しました。人物像は世界最古の写真ではないかという説です。この仮説を支える重要な原理がカメラ・オブスキュラ。暗い箱の中に小さな穴から光を入れると、外にある物の姿が箱の内側に写りこみます。この原理を使い大きな暗室の壁にレンズをはめこみ、外にある人形の姿などを布に写し出し、まるで写真のように人物像を作ったというのです。中世にこれほど画期的な技術を持つ人物がいるとしたら、それは15世紀に生まれた天才レオナルド・ダ・ヴィンチしかいないと主張する研究者もいます。しかし、この写真説も矛盾があります。感光剤が歴史的に記録に残されているのは19世紀。それより300年も前に感光剤が存在しえたのでしょうか。また2m近い人物像をハッキリと写し出すためには高性能のレンズが必要です。いくらレオナルド・ダ・ビンチでも15世紀にそのようなレンズを作ることは不可能ではないかと思われます。

 

この他にも人体から閃光が出た説、コロナ放電説、金属の人型を熱して焼け焦げを作る説などが出されましたが、いずれも人物像の再現には成功していません。いつどのようにしるされたのかは謎のままです。1988年、聖骸布が作られた年代を調べることで聖骸布の正体に迫ろうと再び本格的な科学調査が行われました。イギリス・大英博物館などが中心となり聖骸布の一部を切り取ったサンプルから放射性同位体をもとにした年代測定を行いました。その結果、布は1260~1390年の間に作られたと判明。聖骸布は後世の作り物と結論が出たかに思えました。しかし年代測定のやり方が不適切だったのではないかと疑う研究者も多く、今も議論は続いています。

 

トリノ聖骸布についてカトリックの教皇庁は本物かどうかについて見解を出していません。1998年、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は「聖骸布は人間の知性への挑戦です。疑問への適切な答えを見つけるため科学者に調査研究を続けることを委ねます」と語っています。聖骸布は2015年4月に公開が予定されています。